不文律、一時金、球界リーダー、世界一…王貞治の契約更改史

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。今回は巨人王貞治選手の契約更改です。セ・リーグ初の3冠王を達成した1973年(昭48)以降の契約更改交渉をひも解くと、球団や長嶋茂雄選手、野球界への気配りや思いが見え隠れしてきます。(内容は当時の報道に基づいています。契約内容の金額はすべて当時の推定。紙面は東京本社最終版)

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「長嶋を抜けない」が破られた日

1973年 130試合 ☆3割5分5厘 ☆51本塁打 ☆114打点 
→年俸4800万円 一時金1000万円

1974年(昭49)1月9日付の1面。「ワンちゃん日本一」の見出しで王の契約更改を報じている。前年のシーズンで王自身初の3冠王達成を受けての契約更改だった。「日本一」は長く巨人の最高年俸を誇った長嶋茂雄の4920万円を超えたことを意味していた。この日の本文の冒頭は「王は長嶋を抜けない――巨人の不文律はついに破れた」と書きだしている。

9年連続日本一をそろって支えてきたONだが、4歳上のスーパースター長嶋を、王が契約で超えることはない。そんな「不文律」があったことも驚くが、よく読むと、純粋に破られていないことが分かる。

王の年俸は、この日の紙面だと前年から据え置き(現状維持)の4260万円。これに3冠王の一時金として800万円がプラスされ、合計5060万円となっている。

ただし、数年後の紙面を読むと、年俸4800万円と一時金1000万円となっている。球団や本人が正式発表するわけではない「金額は推定」の世界である。

取材を重ねるうちに誤差が修正されるのは、ままあることとご理解いただきたい。いずれにしても、年俸だけは長嶋を上回らないよう、配慮されたとしか思えない。2人の年俸は入団が1年早い長嶋が常に上回ってきた。紙面から契約更改後の王のコメントを抜き出してみる。

「年俸アップはもう限界に来ていると思う。欲を言ってもキリが無いから予想通りだ。3冠王に対する評価は球団と考え方に差があったが、話し合ったら自分の考え通りになった」

「チョーさんの給料? 僕が満足しているからそれでいいじゃないですか」

「3冠王ができたことだけで満足だ。金銭にはもうこだわりたくない。年間130試合やって稼ぐ給料としては今で妥当だと思う。もう行き着くところへ行ってますよ」

「お金に執着がなくなったからといってプレーをさぼるわけにはいかないよ。あくまでもしつこくプレーするから大丈夫だ。プレーへの執着心を見てくれ」

本音かもしれない。が、大卒の初任給が4万8600円の時代だ。自分が超高額サラリーを受け取ることに対する、球団やファンにも気を配ったコメントにも読める。

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。