【祝・殿堂入り】谷繁元信の前に突然現れた運命の道と、1枚の手紙

プロ野球の野球殿堂入りが1月18日に発表され、谷繁元信氏(53)黒田博樹氏(48)が選出されました。谷繁氏は27年間に及ぶプロ生活の中で2108安打を放ち、横浜(現DeNA)中日を優勝に導く好リードで活躍しました。彼の最大の実績は、なんといってもプロ野球最多の記録となる3021試合出場でしょう。捕手という心身ともに厳しいポジションながら、丈夫な体と気持ちの切り替えのうまさを武器に、厳しい世界で戦い抜いてきました。野球殿堂入りを祝し、谷繁氏の話を書きたいと思います。

プロ野球

◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)では87、88年夏の甲子園に出場。8強入りの88年は島根大会全5試合で計7本塁打。同年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。98年の日本一に貢献し、01年オフにFAで中日移籍。中日ではリーグ優勝4度、07年日本一。13年に捕手3人目の通算2000安打達成。14年から選手兼任監督、15年の引退までプロ野球記録の3021試合に出場。16年監督専任、17年から日刊スポーツ評論家。現役時代は176センチ、81キロ。

実家の片隅に眠る

谷繁元信氏が野球殿堂に選出されたという一報を聞き、1枚の紙切れを思い出した。

2017年(平29)の夏、広島県庄原市にある谷繁氏の実家を訪れた。

父一夫さんにたっぷりと話を聞いた後、実家に隣接する「谷繁元信 球歴館」に案内してもらった(昨年に閉館している)。

「谷繁元信球暦館」に展示されていたグラブなど、谷繁氏が使っていた野球用品

「谷繁元信球暦館」に展示されていたグラブなど、谷繁氏が使っていた野球用品

谷繁氏が手にしてきたトロフィーや賞状、幼少期や中学時代に使っていたグローブやバットが飾ってあった。

幼い頃の写真や彼の活躍を報じた新聞や雑誌もたくさんあったので、私は棚の奥まであさるように隅々まで見ていた。そういう資料に目を通すのは好きなので、仕事を忘れて夢中になっていた。

しばらくすると一夫さんが「飯島さん、そろそろ昼ご飯を食べに行きましょう。おいしい店を案内しますよ」と誘ってくれた。

しかし、資料の山に魅入られていた私は「もう少し、見せてください」と断り、そんなやりとりが何度が繰り返された。

一夫さんは「めぼしいものはケースに飾っているから、奥には大したものは入っていないですよ」と笑いながら、ずっと一緒にいてくれた。

何冊目かのアルバムをめくっていると、1枚の紙切れを見つけた。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。