【新監督の初キャンプ第2弾】落合博満監督の白紙メニューと中畑清監督の安産祈願

当連載「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」は、日刊スポーツが創刊した1946年(昭21)3月6日から発行してきた約2万8000号もの新聞の中から、懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出しています。今回は、新監督の初キャンプの第2弾として、2004年(平16)の中日落合博満監督(当時50)、2012年(平24)のDeNA中畑清監督(当時58)を取り上げます。同い年の2人は、それぞれに個性的でした。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

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いきなりの紅白戦

落合博満監督は、最初のキャンプから独特の方針を示した。落合監督にとっては当然のことばかりだろうが、やはり興味深い。

2004年(平16)、50歳で監督として初めてのキャンプインを迎えた。最初の2日間に紅白戦を行ったことも珍しいが、もっとも興味深いのは「白紙の練習メニュー」だろう。

キャンプイン前日の2004年1月31日、取材に応じる落合監督

キャンプイン前日の2004年1月31日、取材に応じる落合監督

2月4日付の紙面を抜粋しよう。

2日間の紅白戦を終え、事実上のキャンプインとなった3日、中日落合博満監督(50)がまた異例の指令を出した。ベテラン、主力10選手を読谷球場へ配置したが、練習メニューは白紙。一方、若手中心の北谷球場組は午後6時過ぎまで基本練習を行った。

午前9時30分、読谷球場に集合した立浪、川相、福留、アレックス、リナレスら10選手には白紙の練習メニューが渡された。「やりたいことがあればコーチに言う。自己申告制だね」と川又打撃コーチ。ウオーミングアップこそ全員で行ったが、後はすべて自由。立浪が打撃15分、ウエートトレーニングを40分で終え、実質的に午前中で練習終了。午後0時半には球場を後にした。福留は打撃1時間をこなした後、ブルペンでキャッチボール、ウエートトレを1時間行ったが、それでも同2時前には終了した。

立浪は「こんなに完全に任されたのは初めて」と戸惑いを見せながらも、意図を理解した上で「その分、きっちり仕上げるという責任は感じます」と話した。放任の一方、立浪には3月14日オリックス戦(岐阜)、福留には同2日のダイエー戦(福岡ドーム)からオープン戦に出場するよう指示も出されている。

(中略)

落合監督は「最初に言ったでしょ。管理下に置かなくてはいけない選手とそうでない選手がいるって」と涼しい顔だ。「(主力10選手は)年齢に関係なく自分の状態に合わせてメニューをつくっていける選手なんだから」。実績組と育成組に分かれた「2極キャンプ」は15日の第2クールまで行われる。

この記事を書いた記者は、のちにノンフィクションライターに転じ、著書「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」で、ミズノスポーツライター賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

2004年2月3日、主力10選手の練習メニュー表は白紙

2004年2月3日、主力10選手の練習メニュー表は白紙

さて、白紙の練習メニューが与えた影響が、翌5日の記事に載っている。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。