記事にしなかった宇野昌磨の言葉 「今」に全力で向き合う変わらぬ姿

団体、個人ともに銅メダルを獲得した北京五輪。始まる前は前日まで、まるで試合があることを忘れてしまったかのような追い込みようでした。それが「宇野昌磨」という人物です。五輪を終えた後、「今」を大切にする姿にどう変化があったのか。宇野選手の思考を読み解く松本航記者コラムの「続編」です。

フィギュア

<北京五輪:フィギュアスケート個人銅、団体銅>

プラクティスリンクで練習に臨む宇野(2022年2月3日撮影)

プラクティスリンクで練習に臨む宇野(2022年2月3日撮影)

定点観測から気づいたこと

4F、4F、4F、4T-3T…。ズボンの尻ポケットに入る大きさの取材ノートは、暗号のような文字でいっぱいになっていた。

2月3日、北京オリンピック(五輪)開幕の前日だった。フィギュアスケート会場となる首都体育館。同じ敷地内に練習用リンクがあった。薄暗い階段を降り、目に入るのは照明と五輪マークの装飾。宇野昌磨(24=トヨタ自動車)はそこで他を寄せ付けないオーラを放ち、4回転ジャンプを跳び続けていた。

今から8年前、プロ野球担当だった私は初めてのキャンプ取材に出向いた。先輩記者からは「定点観測って大事だよ」と伝えられた。同じ場所から、同じ対象を見ることで、新たな発見が生まれる。「定点観測」の意味はすぐには分からなかったが、野球のフリー打撃も、フィギュアのジャンプも、できる限り事細かにメモを取るようにしていた。

宇野のジャンプはアクセルから始まった。翌日に団体戦のショートプログラム(SP)を控えたこの日も、いつもと変わらぬ流れだった。

35分間の公式練習では各選手に1度、競技会の演目をかける権利が与えられている。宇野のフリー曲「ボレロ」が流れ始めたのは、6本のジャンプを跳んだ後だった。温まり始めたであろう体で2本の4回転ジャンプを着氷。だが、4つ目の4回転トーループが2回転に抜けた。再度の挑戦も2回転、次も2回転、そして転倒。最後に5度目の挑戦で4回転-3回転の連続トーループを着氷させた。本番と同じジャンプ構成をやめ、4回転トーループにこだわるうちに「ボレロ」の曲は流れ終わっていた。

真骨頂はその後だった。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。