【西山真瑚〈4〉】夢実現へのパートナーを探し、アイスダンスで勝負する将来を描く

日刊スポーツ・プレムアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第7弾は西山真瑚(21=早稲田大)を全4回で連載中です。シングルで全日本ノービス選手権Bを制し、アイスダンスで全日本ジュニア2連覇の二刀流。今季は再びシングルに専念し、先月末の冬季八戸国体で有終の美を飾りました。

最終回は、ダンス転向後の飛躍、新型コロナウイルス感染拡大後の苦悩、再びダンスに挑む来季、そして夢のオリンピック(五輪)を、世界を目指す未来へ。

フィギュア

20年全日本ジュニア、アイスダンスフリーの演技を見せる吉田唄菜と西山真瑚

20年全日本ジュニア、アイスダンスフリーの演技を見せる吉田唄菜と西山真瑚

18年転向、吉田唄菜と「うたしん」結成

中学3年からの武者修行先カナダ・トロントで、西山はアイスダンス転向を決めた。日本の恩師、樋口豊コーチを通じて日本スケート連盟のアイスダンス・ワーキンググループ(当時あった枠組み)に相談した。

西山 「ダンスをしたいです」と正式に樋口先生から連盟に伝えていただき、返事が「岡山に1人いるんだけど、トライアウトしてみる?」でした。そこで東京まで来てくれたのが、吉田唄菜ちゃん(岡山SC)です。唄菜ちゃんはノービス時代に2年間(杉山匠海選手と)組んでいた経験もあり、その後は1人で練習していた中、自分とのトライアウトに参加してくれました。日本でトライアウトを行い、まず一緒に滑ってみて、選手同士とお互いの先生で話し合いました。カナダまで来てくれる選手はなかなかいなかったので「もし来ていただけるのであれば、お願いします」と伝えました。

2018年11月のことだった。吉田は7歳からダンスを始めており、全日本ノービス選手権で優勝するなど一日の長があった。はじめは分からなかったという「相性の良さ」も、すぐ実感した。

西山 スケートが合う、合わないというのは、当時のダンス未経験の自分にはよく分からなかったですね(笑い)。2人で滑る時、最初は「え、こんなに近くで? ぶつからないかな、怖いよ」とか思っていました。慣れるのに、すごく大変だった記憶があります。

合う、合わない-。これまでのスケート人生の縁が良い方向に作用した。

西山 唄菜ちゃんの先生が有川梨絵先生で、有川先生の先生が樋口先生。つまり樋口先生の教えが有川先生に、有川先生の教えが唄菜ちゃんに伝授されていた形なので、エッジの角度とか自分と自然に合っていたんですよね。慣れたら、すぐ滑れるようになりました。正直、ツイズルはあそこまで合うとは思わず。ビックリしました(笑い)。

正式に結成し、年が明けた19年の2月、吉田もカナダへ渡った。本格的な練習のスタートだが、どのような段階を踏んだのか。

西山 僕たちは、珍しいというか、いきなりプログラムを作っていただきました。基礎練習とか、ほぼすることなく振り付けのロマン・アグノエル先生が「ドンキホーテ」を作ってくださって。まだ自分が何もできない状態の中で振り付けしてもらい、ダンスの動きを覚えながら、技術も同時に磨いていくという方法でした。クリケットのアンドリュー・ハラム先生がローマン先生の一番弟子で、その関係もあり、僕たちのような組んで間もないカップルの振り付けを快く、すぐに受けてくださいました。2月に練習を始め、ジュニアグランプリ(GP)シリーズの代表選考会が6月。そこに向けて、プログラムを滑り込みながらダンスの技術を磨いていきました。「とにかく、細かい部分は後から、全体的なダンスとしての見栄えから作っていこう」という感じでしたね(笑い)。

20年全日本ジュニア、アイスダンス・フリーダンスで演技する吉田唄菜(左)、西山真瑚組

20年全日本ジュニア、アイスダンス・フリーダンスで演技する吉田唄菜(左)、西山真瑚組

「準備も見よう見まね」のデビュー戦、度肝抜く出来映え

シングル時代にスケーティングを突き詰めてきた経験が、自然と生きた。周囲からは口々に「センスがあるね」と評された。成果もすぐに表れた。

西山 最高に良いプログラムを作っていただき、先生たちが一生懸命、教えてくれました。アイスダンスの先生だけでなく、クリケットのシングル振り付けの先生まで、多くの先生がチームを作ってサポートしてくださいました。先生方に褒められて「えっ、もしかしてセンスがあるのかな」と自ら思ったりして、自分を信じて練習しました。唄菜ちゃんとの滑りに慣れてくると、少しずつアイスダンスの楽しさも分かってきて。シングルよりも“魅せる”ことができる種目。ある意味、シングル以上に自分の良さを全開で出せるのがアイスダンス。これは楽しいなと。

6月。三笠宮杯でデビュー戦を迎えた。

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。