【スクール☆ウォーズ外伝】“京都一のワル"に聞いた伏見工卒業後の人生

京都・伏見工ラグビー部が、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルとなっていたことは、あまりに有名です。「泣き虫先生」こと山口良治監督が知られていますが、それぞれの選手たちにも、その後の物語があります。OBの1人、山本清悟(しんご)さんにこれまでの歩みを聞きました。(2018年1月17日掲載 所属、年齢など当時)

ラグビー

伏見工時代の山本清悟(右端)(山本清悟氏提供)

伏見工時代の山本清悟(右端)(山本清悟氏提供)

「お前は悪いヤツの気持ちが分かる」

今年も全国高校ラグビー大会の閉幕で、高3の青春期が一区切りを迎えた。その一方で、1年後の大舞台を目指す下級生にシーズンオフはない。21日には京都工学院が、春の全国選抜大会につながる近畿大会京都府予選の初戦を迎える。

前身は花園を4度制した名門の伏見工。16年春の学校統合を経て、17年11月の京都府予選決勝で伏見工最後の3年生が引退を迎えた。親しみのある校名が消える大きな節目を迎え、1カ月後の12月からウェブサイト「ニッカンスポーツコム」で「泣き虫先生と不良生徒の絆」と題した記事を連載した。その取材に応じてくれたOBの1人が、奈良朱雀(すざく)高ラグビー部監督の山本清悟さん(57)だった。

山本さんは1976年(昭51)に伏見工へ入学。京都随一の繁華街「祇園」にあった弥栄(やさか)中(現開睛中)在学時、周囲から「弥栄の清悟」と呼ばれた。

バイクを乗り回し、賭博、パチンコ、マージャン…。ケンカに明け暮れ“京都一のワル"と恐れられた男が、伏見工の山口良治監督(74=現京都工学院総監督)に口説かれてラグビー部に入部。それから1年で高校日本代表に選ばれ、卒業後の伏見工花園初優勝へと続いていく物語は、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」に描かれた。

大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。