辰吉寿以輝の現在地〈4〉延期された試合 11・15はリスタートの日

平成のカリスマ、丈一郎を父に持つ辰吉寿以輝(27=大阪帝拳)。

日本初の親子世界王者につながる道を一途に歩む。

11月15日に日本バンタム級11位与那覇勇気(32=真正)とノンタイトル8回戦を迎える予定だった。

しかし日本ランカー返り咲きを狙った16戦目は、10月28日に延期が発表された。

ボクシング

辰吉寿以輝はリングシューズの靴ひもを調節する

辰吉寿以輝はリングシューズの靴ひもを調節する

スパーリング打ち上げの日にもたらされた連絡

大阪の東に位置する繁華街、京橋。新しいオフィスビルと雑然とした飲食店街が混在しているエリアだ。

大阪帝拳ジムは、JR京橋駅から徒歩2分ほどの7階建てのビル内にある。

黄色い看板が出ているエレベーターを3階で下りると、すぐにミットやサンドバッグを打つ音が聞こえてくる。

延期発表の前日となる10月27日夕方。

寿以輝はエレベーターをおりると「練習前に会長から話がある」と伝えられた。

この日は与那覇戦に向けたスパーリングの打ち上げ。元世界ランカーとの6ラウンドを予定していた。

いつもスパーリングを見守っている吉井会長が、わざわざ練習前から「話がある」ということは珍しい。

寿以輝は、トレーナーのアトンと顔を見合わせた。

「これは何かあったな」

辰吉寿以輝を指導するフィリピン出身のトレーナー、アトン・レチェル

辰吉寿以輝を指導するフィリピン出身のトレーナー、アトン・レチェル

同じビルの6階から降りてきた吉井会長から、こう説明を受けた。

「井上拓真選手が、けがをした」

寿以輝 え、と思った。アトンと2人で相手(与那覇)がけがをしたのかなと思っていたから。

WBA世界バンタム級王者井上拓真(27=大橋)は11月15日に、初防衛戦を予定していた。寿以輝はその前座だったが、メインイベントが流れたことで、興行自体が延期となった。

ボクシングで選手にけがなどがあった場合、試合が延期もしくは中止になることはある。

その際に他のカードをそのまま行うケースと、興行自体がなくなるケースがある。

興行がなくなった場合、その相手や前座の選手たちは、他の興行で違う相手と試合することが一般的だ。

ただ今回の11月15日は、会場が東京・両国国技館、試合はアマゾンプライムで生配信される予定だった。

通常の興行とは違うビッグイベント。

ダブル世界戦、前座の寿以輝-与那覇などがそのままスライドすることになった。

減量でほおがこけ始めた辰吉寿以輝

減量でほおがこけ始めた辰吉寿以輝

40ラウンドのスパーリング 7キロ落とした体重

ここまでの道のりは、順調そのものだった。

与那覇戦発表の2日後にあたる9月29日にスパーリングを開始して、合計約40ラウンドをこなした。

減量も始めてから2週間近くが経過。すでに体重を6~7キロ落として、契約体重の54・5キロまで、約3キロの57キロ台になっていた。

徐々にほおはこけて、スピードもアップ。ミット打ちでは強烈なパンチを繰り出し、ミットを持つアトンがあまりの強さに顔をゆがめるシーンも多かった。

辰吉寿以輝は真剣な表情でリングを見る

辰吉寿以輝は真剣な表情でリングを見る

寿以輝は「仕上がってました」といい、アトンも「やりたかったよ。いい感じでやれるはずだった」。

ただ試合がなければ、どうにもならない。

寿以輝は、延期を聞いて「とりあえず(ご飯を)食べますね」と吉井会長に断った。

その日の夜は焼き肉を食べて、一晩で体重が約4キロ戻った。

試合延期で少しほおがふっくらした辰吉寿以輝

試合延期で少しほおがふっくらした辰吉寿以輝

「僕も試合を飛ばしているので何とも言えない」

延期発表から3日後の11月1日。

少しふっくらした寿以輝は、ジムワークに精を出していた。延期について、あらためて聞いた。

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スポーツ

益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。