辰吉寿以輝の現在地〈7〉【試合直前】ずっと変わらない父丈一郎のまなざし

平成のカリスマ、丈一郎を父に持つ辰吉寿以輝(27=大阪帝拳)。

日本初の親子世界王者につながる道を一途に歩む。

プロ16戦目、日本バンタム級10位与那覇勇気(32=真正)戦を迎える。

父丈一郎(53)は、寿以輝について、どう考えているのか。

プロ10年目を迎えた息子に対する思いは。

与那覇戦直前、丈一郎のまなざしを紹介する。

ボクシング

前日計量をクリアしポーズをとる与那覇(左)と辰吉(撮影・前田充)

前日計量をクリアしポーズをとる与那覇(左)と辰吉(撮影・前田充)

サンドバッグを並んで打つ2人

とても珍しい光景だった。

そして懐かしい光景でもあった。

1月16日午後7時過ぎ、大阪帝拳ジム。

親子が隣同士でサンドバッグを打っていた。

辰吉寿以輝(右)は、父丈一郎と並んでサンドバッグを打った

辰吉寿以輝(右)は、父丈一郎と並んでサンドバッグを打った

27歳の寿以輝と、53歳の丈一郎。

寿以輝は、体重を落とすため、小刻みなパンチを打ち続けていた。

丈一郎はコンビネーションを繰り返していた。

特に会話はない。

お互いをじっとみることもない。

黙々と自分の練習に没頭する姿は、やはり似ていた。

息子は車、父は自転車

2人は同じ大阪帝拳ジムで練習しているが、同じ空間で動くことはほぼない。

ましてや隣でバックを打つなんてめったにない。

2人は練習時間が異なっている。

息子は午後5時、父は午後7時過ぎ。

ちょうど寿以輝が帰った後、少したってから丈一郎がやってくる。

行き帰りも別々だ。

寿以輝は車で、丈一郎は自転車で通っている。

ただこの日は寿以輝が試合前、最後のマスボクシングをするために、いつもより練習時間が遅めだった。

3回のマスボクシングを見守る父

マスボクシングが始まった時に、ちょうど丈一郎がリングサイドでバンテージを巻いていた。

父は、息子の動きに鋭い視線を飛ばしていた。

辰吉寿以輝(左)はマスボクシングを行う。父丈一郎はリング外から見つめた

辰吉寿以輝(左)はマスボクシングを行う。父丈一郎はリング外から見つめた

「はい、ハーフ(1分半)」

「もうちょっと前。手を出して」

しかし、その言葉は、寿以輝に向けられていない。

寿以輝の相手を務めた、アマチュア選手へのアドバイスだ。

寿以輝が大阪帝拳ジムに入門すること決まった時。

丈一郎は、妻のるみさんにくぎを刺された。

「あんた、ジムにあずけたんやから、口出したらあかんで」

10年以上前の約束だ。

今もそれを律義に守っている。

「あご、引いて」。

アマチュア選手が、その言葉に反応して、動く。

それはアマ選手を通して、寿以輝に向けたアドバイスのようにも聞こえる。

それでも息子に直接アドバイスすることはない。

不器用だ。

辰吉寿以輝は、3回のマスボクシングを終えた。リングサイドに父丈一郎

辰吉寿以輝は、3回のマスボクシングを終えた。リングサイドに父丈一郎

プロデビュー前から寿以輝を取材して、ずっと寿以輝の記事を書いてきた。

リングで戦うのは「辰吉丈一郎の息子」ではなく「辰吉寿以輝」だからだ。

父、丈一郎の思いは

だがこの日、たまには父の話も聞いてみよう、という気持ちになった。

2人が並んでサンドバッグを打つ姿。

珍しくもあり、懐かしくもあった。

20年近く前。

02年12月、辰吉丈一郎(左)の復帰戦でリングに上がる次男寿以輝君(右)

02年12月、辰吉丈一郎(左)の復帰戦でリングに上がる次男寿以輝君(右)

寿以輝がまだ小学生だった頃、父の隣でサンドバッグをめちゃくちゃに打っていた姿を思い出した。

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スポーツ

益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。