辰吉寿以輝の現在地〈8〉【詳報】与那覇勇気との激闘8ラウンド

平成のカリスマ、丈一郎を父に持つ辰吉寿以輝(27=大阪帝拳)。

日本初の親子世界王者につながる道を一途に歩む。

1月23日、大阪。

契約体重54・5キロのノンタイトル8回戦。

日本バンタム級10位与那覇勇気(32=真正)と打撃戦を展開した。

公開されたジャッジペーパーと、2人の言葉を交えて各ラウンドを振り返る。

2-0の判定勝利を収めた寿以輝、そして敗れた与那覇は何を思ったか。

ボクシング

辰吉寿以輝×与那覇勇気のジャッジペーパー(撮影・益田一弘)

辰吉寿以輝×与那覇勇気のジャッジペーパー(撮影・益田一弘)

坂本博之「新世界より」

1月23日、午後3時40分。

寿以輝はリュックサックとトートバックをもって、ふらりとエディオンアリーナ大阪にやってきた。

1人で。

ゴングまであと2時間20分。

入り口で「辰吉寿以輝」ののぼり10本で出迎えた応援団約20人の声援を浴びた。

「寿以輝、頑張れよー」。ライブ配信が主流となり、スタイリッシュになった令和のボクシングではめっきり見なくなった光景だ。

与那覇×寿以輝は、全6試合の興行で第3試合。

アマゾンプライムの配信では最初のカードだった。

リングサイドには父丈一郎、母るみさんが陣取った。

与那覇勇気対辰吉寿以輝 観戦する辰吉丈一郎氏とるみ夫人

与那覇勇気対辰吉寿以輝 観戦する辰吉丈一郎氏とるみ夫人

ノーランカーの寿以輝は青コーナー。

ガウンなし、タイル1枚を肩にかけるお決まりのスタイル。

リングに上がる寿以輝

リングに上がる寿以輝

いつもなら映画「男たちの挽歌」の曲が流れ出すが、この日は荘厳なオーケストラの音楽が響いた。

ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」第4楽章。

「坂本のお兄ちゃん」。

寿以輝が、そう呼ぶ選手の姿が頭に浮かんだ。

「平成のKOキング」坂本博之。

4度の世界挑戦は実らなかったが、左フックを武器に多くの観客を熱狂させた。

同じ1970年生まれの父丈一郎と親交が深く、寿以輝も子供のころから、よく遊んでもらっていた。

寿以輝は自分のファイトスタイルについて「おとんよりも、坂本のお兄ちゃんに似ているかも」。

そんなふうに慕う名ボクサーの入場曲でリングに上がった。

赤コーナーの与那覇は、銀髪に白をベースにヒョウ柄のコスチューム。

リング下で一礼して、駆け上がった。

寿以輝のコンパクトな左

1回、与那覇(右)にパンチを放つ寿以輝

1回、与那覇(右)にパンチを放つ寿以輝

寿以輝が、コンパクトな左ジャブを重ねてペースを握った。決して大振りはせず、右も脇を締めて直線的に伸ばしていく。左フック、ワンツーをヒット。自ら前進して、与那覇との距離を詰める。与那覇は鋭い左ジャブを伸ばすが、単発で次につながらない。終了間際に寿以輝が小刻みな4連打をまとめ、技術で上回った。

ジャッジ
宮崎 与那覇9-10寿以輝
池原 与那覇9-10寿以輝
今村 与那覇9-10寿以輝

実はここでアクシデントが起きていた。

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スポーツ

益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。