4月に15歳7カ月の生涯を閉じた愛犬メリーちゃんとの秘話/連載番外編
セレッソ大阪監督の小菊昭雄さん(48)は今年4月、愛犬でメスのトイプードル「メリーちゃん」を亡くした。彼女は15歳7カ月の生涯を生き抜き、Jリーグでプロの指導者となった小菊さんは、そのすべての時間を支えてもらった。ペットロスを体験しながら、闘い抜いた約8カ月。今季全日程を終えた小菊さんは今、かけがえのない“愛娘”へ、改めて「ありがとう」の言葉を贈る。
サッカー
〈プロ選手経験のないJ1指揮官の挑戦〉
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着信で悟った最期
4月25日、その日、小菊さんは大阪市此花区にある練習場にいた。4日後に控えた広島戦へ、監督としての闘いが始まっていた。
「気付けば夕方、僕の携帯電話に、息子(中学3年の長男)からたくさん、着信があった。だから、メリーちゃんが天国に行ったんやな…と思って、すごくいろんな感情が湧いた」
覚悟はしていたが、涙があふれてきた。
「でも不思議なんです。この2カ月、ずっと苦しい思いをしているメリーちゃんしか見ていなかった。悲しいけど、ほっとした気持ちもあったんです」
亡くなる1年前から脚が悪くなり、家族が抱っこして外出していた。この2カ月は寝たきりで、食事もできなかった。3・5キロあった体重はどんどん減り、病院で点滴も受けた。壮絶な闘病生活だったという。
覚悟を決めていた小菊さんは、この数日は自宅を出る際に「もういいよ。ありがとう、頑張ってくれたね」と声をかけた。それでも顔を近づけたら、最後の力を振り絞って、顔をなめてくれた。
黒色のメリーちゃんは2007年9月28日、大阪で生まれた。小菊家に来たのは、その2カ月後の11月中旬。
当時はC大阪でコーチに抜てきされて2年目。夫婦でふと立ち寄ったペット店で、最初に気に入ったオスのトイプードルは飼い主が決まっていた。すると、店員から数日後に同じ犬種で同じ黒色のメスが入ると聞かされた。
「(入店の)約束の日、僕は練習の帰り道に、家内と店に向かった。抱っこしたら、顔をペロペロってなめてくれ、尻尾も振って。絶対、この子やなと。かわいかったです」
当時32歳だった小菊夫妻には、初めての“子ども”として迎え入れ、夫人がメリーと命名した。その1年3カ月後、2009年2月19日に今度は、待望の第1子(長男)を授かることになる。4人の生活が始まった。
「メリーちゃんを飼ってから、それから家内に赤ちゃんができて。メリーちゃんがコウノトリになって、赤ちゃんを運んできてくれたんやと。小さな息子を世話していると、メリーちゃんが我々にやきもちを焼いたり。逆に、寝ていても息子が歩き出したら、メリーちゃんがワンワンワンとほえて、注意してくれる。息子をいつも気に懸けてくれていました」
C大阪でコーチは2006年から約15年間、監督生活は2021年8月から始まった。
愛知学院大を卒業し、下部組織のコーチに採用された。プロ選手の経験がない小菊さんには、明日の保証もない厳しい世界での挑戦だった。遠征で家を空ける日も多い。メリーちゃんの存在は大きかった。
「コーチとして選手と監督の間に入ったり、自分がちょっと元気がない時、負けてへこんでいる時、練習がうまくいかなかった時、そんな僕を、メリーちゃんは分かってくれていた。そういう時に限って、僕のところから離れなかった」
決勝翌日の散歩
2022年10月22日、小菊さんが監督として最高の舞台に立った。国立で開催されたルヴァン杯決勝の広島戦。1点をリードし、迎えた後半終了間際、わずか5分の間に連続失点し、監督として初の栄誉がこぼれ落ちた。
「私の力のなさで、選手たちを勝たせてあげられなくて、その悔しい気持ちでいっぱいです」
全責任を負うコメントを監督会見で残した翌日、小菊さんはメリーちゃんを抱っこし、自宅の近くを散歩した。もう目が見えていないはずなのに、お父さんの心の傷を理解するように、穏やかな表情で寄り添ってくれた。
「彼女はいつも、家族の喜怒哀楽を見守って、支えてくれていた。深い愛情を持って接してくれた。趣味がない僕には、コロナ禍になってからは彼女といる時が唯一、癒やされた。2人で太陽や風に当たって、幸せやなと思いながら」
かつて住んでいたのはマンションの5階。小菊さんが帰宅した際の車のエンジン音だけで、鳴いて家族に知らせ、玄関まで出迎えてくれた。自宅近くの公園では幼い長男と、サッカーボールで遊ぶのが日常だった。
亡くなる前の1カ月は、家族が交代でつきっきりで世話をした。ただ、亡くなる30分前、どうしても夫人に出かける用ができ、留守番を長男に任せたタイミングで、メリーちゃんは天国へと旅立った。眠るような姿だったという。
「たぶん、息子に命の尊さを伝えたかったんでしょうね。家内には(死に際を)見せたら、あかんと思ったんでしょう。メリーちゃんなりの優しさやったんかな。感謝ですね、最後までありがとう。最後の大役を表現して、天国にいってくれたんかな。僕も改めて家族の大切さ、絆の深さを感じたし、わが家にたくさんの笑顔を届けてくれた。それは宝物の時間でした」
監督になって2年4カ月がたつ小菊さんは、常に全力で選手を指導し、勝利を目指している。周囲には少しも感じさせなかったが、やはりペットロスはあったという。
「今でもオフに買い物に行ったら、ペット店に入っちゃう。同じ黒のトイプードルを探してしまう。また、飼いたいなと。飼ってしまうと、メリーちゃんの存在を消してしまう。自分が、家族が。だから、まだ、飼ったらあかんなと思う。メリーちゃんの存在を大事にしたい。だから、飼えないですね。これからも、飼えないかもしれない。もし願いがかなうなら、1日だけでいいから、もう1度、メリーちゃんと一緒に過ごしたいですね」
来季もC大阪で指揮を執る小菊さん。クラブにかかわる全ての人、もちろん、家族、メリーちゃんのためにも、あの日、置き忘れてきたタイトルを取り返しにいく。(おわり)
大阪府池田市生まれ。1991年入社。
93年Jリーグ発足時からサッカー担当で、当時担当していた出世頭は日本代表監督になった広島MF森保一。アジアの大砲こと広島FW高木琢也の当時生まれた長男(利弥)を記者は抱っこしたが、その赤ちゃんがJ3愛媛のDFで今秋30歳に。
96年アトランタ五輪、98年W杯フランス大会などの取材を経て約13年のデスクワークに。19年から再びサッカーの現場へ。
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