SG優勝2度、関東を代表するボートレーサーの熊谷直樹(56=東京)が12日、現役引退を表明した。明日、13日に選手登録消除の手続きを行い、36年余りにわたるレーサー人生を退く。会見での主な一問一答は以下の通り。

-引退のきっかけは

熊谷直樹(以下、熊谷) 賞金王、いまのグランプリに初めて出た時に、これは毎年出ないといけないレースだと思った。結局、4回出たのかな。それからだいぶ経った。最近はA2にも落ちた。そこでフライング(10月30日、大村)をしてしまってF2になった。A1級に戻るには再来年の1月じゃないと戻れない。周りにグランプリなんか無理、そんな器じゃないと思われているのは自分でも分かっていたけど、1%でもその可能性がある限り、頑張ろうと思っていた。その1%が完璧にゼロだなと思った。グランプリから遠ざかり、ここ10年、気持ちは細い糸1本でつながっていた感じ。それが最後のフライングで(気持ちが)切れたかな。

-スタートにかける情熱は

熊谷 僕は下手だった。デビューから2節の成績があまりに強烈で、選手を辞めようと思った。でも、そこからやれることはやろうと。デビューしてから、ほぼほぼ練習した。自分に何が足りないかと言えば、ボートレースはスタートから始まる。進入もあるけど、当初は6コース。昔、よく走った松井(繁)は、今は早いけど、以前スタートはあまり早くなかった。でも、勝ってくる。僕はそれができない。自分で展開を作らないと勝てないと思った。スタートを行かないと展開は作れない。このパターンしか勝てないと思い、スタートに重点を置いた。

-思い出のレース

熊谷 (会見場が)平和島。オーシャンカップ(97年平和島)の優勝ですかね(ニヤリ)。でも、本当に思い出深い。初めてのSG優勝ですし、チルトを3度にしたり。優勝できて、気持ち的にもやり尽くした。もちろん、他のレースもやり尽くしているけど、地元SGでもあるので思い出深い。

-一番悔しかったレースは

熊谷 いっぱい。1着以外は、ほぼ悔しかった。

-こうしておけばというレースは

熊谷 それはないです。全部、力を出そうと思ってやっていた。それがフライングでも、転覆でも。6着になって悔しいのはあるけど、尾を引くことはない。一番悔しいというのはないけど、悔しいレースは山ほど。1着以外、悔しいです。

-02年の宮島グラチャンでフライング、史上最高額の返還もありました

熊谷 あの時の西島さん、僕の状態を考えると差したら勝てない。優勝するには絶対にまくるしかないと思った。差せば2着くらいはあると思うけど、最初から2着狙いはない。そこでスタートを行ったらフライング。冷静に考えれば、そうだよなと。宮島の関係者さんには悪いけど、僕としては何の後悔もない。

-影響を受けた方

熊谷 間違いなく長岡(茂一)ですよ。長岡がいなければ、ここまでになってない。デビュー期が終わった時、同期では一番勝率が高かった。でも、長岡が卒業してきて、一緒に練習したら、もう僕よりうまい。(自分が先輩でも)ずっと彼の背中を追いかけて、すごく引っ張られた。彼に対する劣等感が、ここまである程度の成績を残せたのかな。それを思わせてくれた。

-レースでのこだわり

熊谷 プロ意識ですかね。かっこよく言うと。実力次第でお金を稼げるプロスポーツの1つ。プロ野球選手ならどうする? というのをずっと考えて、フライング休みは休みではなく、練習をしないと。身体も鍛えたり、自分なりには考えた。

-ファンへアピールしてきたことは

熊谷 一生懸命走る。当然、お金がかけられているわけなので。

-約37年の選手生活の自己評価は

熊谷 レースに対する姿勢は100点。体力、自分の健康面を見られなかった点はゼロ点ですかね。やっぱり首も腰もヘルニアだったり、痛いところだらけ。自分でケアすれば、もう少しできたのかなと。

 

-今年、グランプリに出場する浜野谷憲吾選手へエールは

熊谷 見た目はちゃらちゃらしてるけど、仕事の面はやることをやっている後輩だった。怒ることはなかった。浜野谷君は、まだまだ東京のトップを背負うと思う。精いっぱい頑張って優勝してもらえたらいいなと。

-今後、やることがあれば

熊谷 来年宇宙に、退職金で。足りないですね。それ、冗談。全く決まってなく、家族もびっくりしてた。農業をやります。来年、ゼロからノウハウを教わって、やってみようかなと。家庭菜園? それなら言わね~わ。例えば、スイカとか。北海道で取れる農作物はやろうかなと。