オンリーワンがその先へ-。かつての名選手を父に持ち、6カ国語を操る戸辺香奈実(30=茨城)にインタビュー。幼い頃から父と母に国際感覚を養われ、学生時代はロシアを拠点に各国を往来して交流にひと役買った。異色ルーキーの素顔に迫る。【取材・構成=野島成浩】

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おそらく史上初だろう。6カ国語も操れるマルチリンガルの戸辺香奈実が、ガールズ選手になった。まずはプロフィルに目を奪われる。父の英雄氏は51期の元競輪選手で、レジェンド神山雄一郎と何度もワンツーを決めた名手。そして、自らの学歴には「ロシアの大学院で言語学を専攻して卒業」と記されている。

戸辺 小さい頃から外国に興味を持ち、留学や旅行でいろんな国へ。これも父がいた業界のおかげ。今度は自分も力になりたいと思っているんです。

祖父でやはり選手だった故弘氏(8期)から続く、戸辺家の競輪界への感謝を表したい。この秋、香奈実の奮闘が熱を帯びてきた。

強い精神力が原動力になっている。物おじせず「趣味は趣味を探すこと」と、興味を持ったことにすかさずトライする。まるで好奇心やチャレンジャー精神の塊。オフの父と一緒に海外旅行をしたり、英語が堪能で国際線のキャビンアテンダントだった母からアジア各国の様子を聞いたりするうちに、それがむくむくと芽生えた。

授業をほとんど英語で行う都内の私立高に進み、欧米やアジア諸国から来た級友と話すうちに、言語の文法や成り立ちに興味が湧いた。大学では、母がまだ知識を蓄えてないロシアに思いを巡らせて留学。大学院を卒業した後は、多くの外国語に堪能なまれな存在として重宝される。通訳の他に、ビザ申請の代行で大使館に通い、訪日や渡航する人々の力になった。

だが、日本と外国の懸け橋になろうといういちずな思いは、新型コロナウイルスによって断たれた。そこで大きな転機を迎える。

戸辺 コロナ禍で、外国人と交流できなくなったんです。その時にたまたま、ネットか何かでガールズケイリンの選手募集を知りました。それで、試しにやってみようと。

ガールズレーサーになる-。一緒に暮らす両親に選手養成所の入所試験に挑む意思を伝えると、すぐに賛成してもらえた。ただ、中学で陸上短距離の好タイムを記録した他に、さしたるスポーツ歴はない。それでも思いが募る。適性試験には特に跳躍力の強化が大事と考え、自己流で、ある時は市中の公園で鍛えた。そして、一発合格した。

デビューへ険しい道を乗り越えた。養成所の単独で走る記録会は好タイムを出すが、前を追走する技術に乏しかった。実戦形式では集団から置き去りにされてしまう。選手資格を得られるかという瀬戸際に「卒業記念の直前にコツが分かった」と、土壇場で車がスムーズに進むようになった。

戸辺 対戦相手の予習が足りないと駄目。レース映像を参考にします。強い選手が勝つ、負ける、その両方をよく見たり。父からは現役のときの経験から「街道練習を多めに。もっと乗り込め」と。

在所成績は23人中22位。それでも7月の本格デビューから4場所目で決勝に進み、8月には初勝利を地元取手で飾った。中団に位置してから、直線で前団に迫る走りが基本パターン。これまで各国語を覚えた頭脳を、今度はどう体力を高めるか、どう自転車を乗りこなすかとフル回転させた。

戸辺 多くの人がガールズケイリンに挑戦できるように。ほとんど運動をやっていない私が、違う世界から飛び込んできて、どこまで上り詰められるか。ゼロからでも活躍できることを見せたい。

有言実行へ挑戦が続く。

◆戸辺香奈実(とべ・かなみ)1993年(平5)10月6日生まれ、茨城県出身。地元公立小中学から、授業をほとんど英語で行う品川エトワール女子高国際科を卒業。京産大からロシア国立研究大高等経済学院大学院修了。中国語、チュヴァシ語、ヘブライ語を合わせ6カ国語に精通する。競輪選手養成所124期生で在所22位。師匠はまたいとこの戸辺裕将。通算成績は27戦1勝。通算獲得賞金は269万円。163センチ、63キロ。血液型B。

<競輪選手の祖父と父から受け継いだDNA>

「戸辺家のDNA」が脈々と生きている。祖父で、やはり競輪選手だった故弘氏から父の英雄氏、そして自らへ、身体能力も闘志も引き継いできた。それはデータにもくっきり表れる。

「背筋力が自慢です。195キロはガールズで最高かも。力をうまく自転車に伝えていると言えませんが」

KEIRIN.JPによると、暮れのガールズグランプリに挑む7人では吉川美穂の183キロが最高。男子の古性優作の214キロには及ばないが、脇本雄太の169キロを上回る。

けがにも強い。87年にダービー2着の実績がある英雄氏は、落車で何度も顔や全身をバンクにたたきつけられた。だが、そのたびに戦列に戻り、02年にはKEIRINグランプリ出場(7着)を果たした。香奈実も同じ。9月の落車で左鎖骨を骨折したが「人生初の骨折。ポキッと音がした」とあっけらかん。患部をワイヤで留めたまま、復帰場所の11月松阪はいきなり2着スタートから決勝進出。しぶとさも大きな武器になっている。