メッシにエムバペ、ハーランド。W杯で注目されるストライカーたちがそろってゴールを重ねた。
体のサイズも持ち味とそれぞれ異なる。ただ共通していることはゴールが取れること。サッカーは言うまでもなく、得点することが難しい競技だ。それゆえストライカーの価値は高い。
守備面はチームとして構築できるが、点を取るところで最後に物を言うのは「個」だ。メッシにしても、エムバペにしても、ハーランドにしても、それぞれが個の強さを発揮していた。
日本は長く「ストライカーがいない」と嘆かれていた。1968年(昭43)のメキシコ五輪で得点王になった釜本邦茂の後に続くストライカーの不在が声高に叫ばれ、国際舞台からも遠ざかっていた。日本がW杯の常連となる前の話だ。
その理由を探ろうと歴史観を持ち出し、欧米は狩猟民族で、日本など東アジアは農耕民族だから「攻撃的な」ストライカーは生まれにくいのだと言われることもあった。その仮説は興味深いが、22年にプレミアでで孫興民がアジア人初の得点王を獲得したこともあり説得力は薄い。オランダで上田綺世も得点王を手にした今、なおさらそう思う。
何よりストライカーは「エゴイスト」でなければいけないと言われてきた。言葉通りの「エゴイスト」は利己主義や、自己中心的な人を指すが、サッカーの文脈では「自己主張の強さ」だ。「ここにパスを出してくれ」という要求はもちろん必要である。ただ自己主張一つで得点力不足が解決できるという話ではない。
ではストライカーはどうやってつくるのか? と聞かれれば、シュート技術を磨くしかない。かつて釜本さんは「自分の型を身につけるシュートの反復練習が少ない」と説いた。実際に同じような意見をJリーグの指導現場でも聞く。勝つためのグループ戦術を磨くこととは別に「個」を磨く自分の時間が重要なのだ。
オランダ戦でゴールを決めた中村敬斗は、幼少期から左からの右足シュートを長い歳月を重ねて磨き上げた。そのプレーは「体に染み付いている」ほどの再現性だ。だからこそ、どういう状況であれ決められる。
メッシ、エムバペ、ハーランドにしても同様だろう。どれもこれまで見てきた再現性のあるプレーでの得点だった。卓越したシュート技術は日々積み上げてきたものの完成形。メッシの姿にハッと気づかされた。
「ニワトリが先か、卵が先か」と問われたら、まずは反復練習が第一だ。その後にエゴも付いてくる。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)



