20年東京五輪の男子日本代表監督に決まった森保一氏(49=前サンフレッチェ広島監督)の就任会見が30日、東京・JFAハウスで行われた。52年ぶりメダル獲得への決意、FW久保建英(東京ユース)ら飛び級招集の示唆、無名選手の発掘、現役時代に経験した「ドーハの悲劇」の教訓、平和祈念-。自国開催五輪への思いを誠実に語った。初陣は12月の国際大会M-150杯(タイ)で、来年1月のU-23(23歳以下)アジア選手権(中国)が初の公式戦となる。

 東京五輪監督の就任決定から18日、森保監督が初めて公の場で所信表明した。実直な人柄を表すように一問一答、丁寧に受け答え。「自国開催で皆さんが望んでおられることは、間違いなくメダル獲得。本当に結果を求められますし、重責ですが、全身全霊をかけて向かいたい」。9月22日から欧州を研修行脚し、今月24日に帰国。晴れの会見で52年ぶり表彰台を誓った。

 約束したのは柔軟な選考だ。東京世代は97年1月1日以降に生まれた選手が対象。高校1年生FW久保は01年生まれで本来24年パリ五輪世代だが「飛び級招集」の可能性を排除しない。「年齢も今までの実績も関係ない。五輪への扉は開かれています」と強調した。

 現役時代、初めて日本代表に呼ばれた92年は「もりやす」と読むどころか、カズが「森・保一君って誰?」と言ったほど無名。しかし、オフト監督の抜てきに応え「ボランチ」の用語を日本に定着させた実績から「今はトップでも、この世代は力関係が変わりやすい。Jクラブ、大学、高校。いろんなところから情報をもらい、選手が埋もれて終わることのないようにしたい」と原石を発掘する。試合だけでなく平日の練習見学も積極的に行う考えだ。

 93年「ドーハの悲劇」の経験も還元する。同点被弾のラストプレーでカズとクロスを防ぎに走ったのが、森保監督。「あれ以上、悲しい思いはサッカー人生でない。どん底に落ち、心が折れても、選手としては成長しなければいけないと教えてもらった。常に前向きに進む大事さを伝えたい」の言葉には説得力がある。

 長崎で生まれ、広島で育った。「世界で2都市しかない被爆地、平和都市で過ごしてきました。五輪も平和の祭典。発信していければ」と使命感も強い。メキシコ大会で銅メダルの68年に生まれた森保監督が、生きざま、経験すべてを東京世代に注入する。【木下淳】

 ◆森保一(もりやす・はじめ)1968年(昭43)8月23日、長崎市生まれ。長崎日大高から87年に広島の前身マツダ入り。守備的MFとして京都、広島をへて03年に仙台で引退。J1通算293試合15得点、国際Aマッチ35試合1得点。04年からU-19、20代表コーチ。広島と新潟のコーチをへて12年に広島監督。12、13年と15年の計3度リーグ優勝に導いた。通算92勝。家族は夫人と3男。現役時代の愛称は「ポイチ」。