名場面に名言あり。サッカー界で語り継がれる記憶に残る言葉の数々。「あの監督の、あの選手の、あの場面」をセレクトし、振り返ります。

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「4年間の素晴らしい冒険は終わった」。

日本代表のフィリップ・トルシエ監督の表情には“赤鬼”とも称された厳しさ、冷徹さは消えていた。試合中から降り注いだ雨でぬれたメガネの奥で泣いていた。下を向く選手たちにねぎらいの言葉をかけ、背中をたたいた。

02年6月18日、宮城スタジアム。02年日韓ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦となった日本-トルコ戦は0-1で敗れた。史上初の8強入りを逃した直後、長い旅路を終えた感覚があったのだろう。「今日の涙は負けたという意味ではない。4年間の素晴らしい冒険は終わった。ベスト16に進み、歴史はつくれた。4年間の成果は出せた。いろいろあった4年間の仕事が終わったという意味だ」。

日本代表監督のラストマッチは「奇策」に出た。快進撃を続けた予選3試合の2トップ(鈴木、柳沢)ではなく、公式戦で1度も試したことのない西沢、三都主を起用。何度も好機をつくりながらゴールを奪えずに負けた。「同じチームでやるのはすごく簡単なこと。守りに入ることはしたくない」との信念を最後の最後まで曲げなかった。

「フラット3(DF3バックを水平に並べる)」「オートマティズム」など戦術の持論をはじめ、メディア批判から「スターシステム(メディアによる選手スター扱い)」などの言葉も多用した。非公開練習も連発し、98年9月の監督就任から4年間、哲学を貫き通した。一方でオリンピック(五輪)代表監督を兼務し00年シドニー大会では32年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献し、稲本、小野らを育成。時に若手の欧州クラブ進出の橋渡し役も務め、日本代表強化につなげた功績は大きかった。

その後、フランス・マルセイユ監督、FC琉球総監督などのクラブ指揮を挟みながらカタールやナイジェリアの代表監督も務めたものの、W杯本大会で指揮したのは02年が最後。18年にはベトナムのアカデミー育成の役職に就き、19年9月にはU-19(19歳以下)同国代表監督を務めるかたわら、ボルドーワイン「ソルベニ」を手掛けるなど、65歳になった現在も新たな「冒険」を続けている。