隣国同士の日本と韓国の試合は、激闘を繰り広げてきた歴史がある。J3岩手監督で、元日本代表の秋田豊氏(50)は日韓戦のピッチを「戦場」と例えた。テレビには映らなかった戦いがいくつもあったという。

秋田氏 ボールを大きくクリアした後、しばらくして背中に激痛が走った。“えっ”と思って振り返ったら、相手FWがいた。背中を殴られていたのだ。しばらくしてボールがないところで、僕もそのFWの背中を思いっきり殴った。その後、再びやり返され、また殴った。周りの選手もほとんどそんな感じだった。日韓戦のピッチには、ボールのないところで、チーム対チームではなく、個人対個人の激闘がいくつもある。

審判の目を盗んで相手が殴ってきたら、殴られた選手は審判に告げ、相手の警告や退場処分を誘うことが一般的だ。しかし日韓戦では違った。秋田氏は「だれも審判にアピールなんかしなかった。やられたらやり返すことしか頭になかった。まあ、異常だけどね。戦場だった」。

韓国にとっても、日韓戦は特別になる。韓国代表の主将を務めた洪明甫氏(52=蔚山現代監督)はかつて「日本戦は本当に嫌だった。あまりにも国民の関心が高く、プレッシャーが強すぎる。勝ったらいいけど、負けたら…、想像もしたくない。だから日本には絶対に負けられない」と話したことがある。

スパイクの選び方にも覚悟が表れた。スパイクには固定式と、靴底に突起物のポイントを付け替えるものがある。スピードを出すためには固定式が適しており、雨などでピッチが滑りやすい場合は、アルミや鉄のポイントを取り付けたものが適する。しかし韓国選手は日本戦で、天気や好みなど関係なく、ほぼ全員がポイントを付けたスパイクを履いたという。

洪氏は「ポイントの先端が金属製になっていて、日本戦のピッチに入る前、室内の中央ホールに両選手が集まった時に、わざと足をならして金属音を出して相手に脅威を与えていた」と狙いを口にした。秋田氏も、その金属音を忘れない。「試合前に室内ホールに両チームがそろった時に『ガチガチ』って金属音でうるさかった記憶はある。自然と『あれが足首に来たら痛いだろうな』となった」。

秋田氏が95年に初めて日本代表に呼ばれた時、当時の柱谷哲二主将の言葉が忘れられないという。「いつも勝つために戦うけど、日韓戦だけは絶対に負けちゃダメだ。理由はない。相手が韓国だからだ」と言われた。闘将と呼ばれた先輩の言葉の重みを感じた。同世代でアジアの壁と言われた井原正巳氏(53=柏コーチ)は「球際の戦いは、他の相手とは比較できないくらい壮絶だったし、その歴史があったから両国はW杯常連国になった」と切磋琢磨(せっさたくま)を振り返った。

時代は変わり、海外組も増え、今の若者世代は、かつてほど日韓戦への強い意識はない。だが、互いに最高の好敵手であることは変わらない。井原氏も「昔ほど相手を敵対視することはないものの、激しさは残したまま、いいライバルとしてテクニックで競うようになっている」と話す。

日韓戦のピッチには、深い歴史とともに、アジアサッカーを引っ張る2国のプライドが込められている。絶対に負けられない戦いは永遠にある。【盧載鎭】