【デュッセルドルフ(ドイツ)19日=岡崎悠利】サッカー日本代表が、ワールドカップ(W杯)カタール大会(11月20日開幕)に向けた最後の代表活動をスタートさせた。

FW町野修斗(22=湘南)は7月の東アジアE-1選手権で初招集され、海外組が入った日本代表へは今回が初参加。23日の米国戦、27日のエクアドル戦と2試合で最低1ゴールを掲げ、本大会出場へアピールを誓った。

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時折ぱらつく雨、ひんやりとした空気。立ち並ぶ家々でひときわ目立つ聖堂の尖塔(せんとう)…。移動バスから目に映る風景が、町野には懐かしかった。選手として記憶している最後の海外遠征先が、大阪・履正社高時代に訪れたデュッセルドルフだった。縁のある地で夢舞台への挑戦が始まる。

長く代表招集からは遠ざかった。海外組を含む日本代表には初めて入った。「もう、チャレンジするしかない。僕に(ボールを)出せば決めてくれるというイメージを少しでも付けたい」。謙虚な言葉ながら、物おじする様子はない。

A代表初招集だった東アジアE-1選手権では3ゴールを宣言し、有言実行。得点王にも輝いた。ただ、W杯へ視界が開けた感覚はなかった。「E-1だけじゃ、評価にはならないと思っていた」。海外組が集結した“ガチメンバー”で結果を残してなんぼ。FWは大黒柱の大迫勇也が不参加で、本命は不在。「泥臭くてもなんでも、点を取りたい。頭も右足も左足も決められるのが武器」と言葉に力を込める。

はい上がってきた。高卒で横浜に加入も、1試合も出られないまま19年にJ3北九州へ。開幕戦でスタメン入りも、その後5試合連続の無得点でベンチ外も経験した。チームメートには仕事を掛け持ちしてプレーする選手も。洗濯や用具管理も自分でやった。「厳しさとともに、原点に戻った」。どんな形でも点を取る。よみがえったハングリーさが原動力になっている。

所属する湘南はリーグ15位。そこからW杯出場となれば、国内組の希望にもなる。三重県伊賀市の出身らしく、ゴールパフォーマンスは忍者のポーズ。「(今回も)やりたい。海外でも浸透するようにしたい」。新しい黄色のトレーニングウエアに身を包み、いつものように堂々とゴールを宣言した。

◆町野修斗(まちの・しゅうと)1999年(平11)9月30日生まれ、三重県伊賀市出身。ポジションはFW。履正社高2年で高校選抜に選ばれ、3年時に練習参加した横浜に加入。19年にJ3北九州に期限付き移籍し、1シーズンでJ2に昇格して完全移籍。32試合で7得点し20年に湘南へ移籍。今季は5月の川崎F戦で2戦連続2得点など活躍し7月の東アジアE-1選手権でA代表デビュー。185センチ、77キロ。利き足は右。