<ロンドン五輪アジア最終予選>◇8日◇中国・済南

 悪夢を乗り越えて、五輪切符をもぎ取った。「世界一」の看板を背負って最終予選に臨んだ佐々木則夫監督(53)は、重圧で眠れない日々を過ごしていた。突破して当然という期待感、過密日程、上向かない選手のコンディション…。勝てば予選突破という北朝鮮戦に引き分けて、テレビ生中継では謝罪した。中国の敗戦をスタジアムで見届け、なでしこを3大会連続4度目の五輪出場に導いた名将は、安堵(あんど)の表情をみせた。

 中国の敗戦が決まった瞬間、佐々木監督は大きく息を吐いた。大仕事をなし遂げた喜びと安心感。充実の表情を見せながらも、頭には苦悩の日々が浮かんできた。「(予選期間中は)ほとんど眠れなかった」。明るく、冗談好きで知られる指揮官は、精神的に追い詰められていた。アルコールをほんの少し体に入れて横たわると、悪夢にうなされた。「記者のみなさんが押し寄せてくる夢です。(監督の)解任なのか、祝福のおめでとうなのか分かりませんでしたけど」。

 W杯優勝の重圧は想像以上だった。「みんなの期待も高かったし、ユニホームの右胸には(W杯優勝記念の)金のエンブレムもありましたから。本当に使命感でした」。

 常識外れのスケジュールにも苦しんだ。前半は中1日。疲労が蓄積した後半も中2日の超過密日程。ハードな練習を身上にする指揮官もコンディション維持に腐心した。「疲労がかなりあったため、強化できなかった。そんな状況では泥臭いサッカーしかないと言った」。練習量は減らしたが「かなり厳しい姿勢で臨みました。私も笑ってギャグばかり言っているわけじゃない」。練習量で積み重ねができない分、手厳しい言葉で選手を鼓舞し続けた。選手たちの疲れは見て取れた。韓国、オーストラリアと接戦続き。「それでも1歩でも2歩でも前に進もうとしていた。体が動かない中、よくやってくれた」。

 勝ち点は積み重ねたが、進退問題も頭をよぎった。世界一の称号を得て、日本サポーターからは、予選突破は当然という空気も漂った。日本協会との契約は五輪予選まで。W杯優勝の手腕が高く評価されているが五輪切符を逃した場合は「辞めようと思っていました」という。

 予選突破が決まった3時間半前。北朝鮮と引き分けた直後、日本で応援するファンに向かって「本当、すいませんでした」と謝った。ストレートな言葉に人柄がにじんだ。中国の結果しだいでは最終戦にもつれ込むシナリオもあった。オーストラリアが先制すると、スタンドで跳び上がって喜んだ。「中国の関係者がいたので恥ずかしかったね」。

 北朝鮮戦前にはロッカールームで、なでしこを応援するためにNHKが公募、編集したメッセージビデオを流した。最後のメッセージは「埼玉県の50代男性」と言って紹介された「失敗を恐れず、自分を信じ、仲間を信じ。これが今日のなでしこの戦術だ」。FW大野が「これ、則夫じゃん!」と言って笑いに包まれた。ユーモアも忘れない指揮官は「契約してもらえるか分からないけど、もう1度気を引き締めたい」とロンドンを見据えていた。