新型コロナウイルスの影響による約4カ月の中断期間を経て、待望のJ1リーグ戦が再開された。G大阪のプロ23年目、元日本代表MF遠藤保仁(40)はJ1通算632試合出場を果たし、楢崎正剛(元名古屋GK)を抜いて歴代単独1位に立った。無観客開催の大阪ダービーに先発して1-2で惜敗したが、Jリーグの再出発の日に歴史的偉業を刻んだ。

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静寂に包まれた本拠地でプロ23年目の遠藤が、J1最多出場記録を塗り替えた。1点差で惜敗した試合後のオンライン会見では、冷静な鉄人のままだった。

「今日は(約4カ月ぶりに)ピッチに立てた喜びの方が(記録面より)断然大きかった。ただ、632分の1の試合、ここまで積み重ねて来たもの(結果)は消えない。無観客でやったのも1つの経験で、自分の中にうまく取り込んでやっていきたい」

3-5-2システムの中盤の底に位置するアンカーとして先発した。前半20分には相手ボールを難なく奪い取り、同28分には敵陣まで攻め込み、得点を予感させた。無観客だから遠藤の奏でる長短、緩急自在のパスの音が聞こえてきた。

だが「先制点が大事」と指摘していたが、相手に先手を取られ、同点を狙うために後半9分に退いた。シュートは0本に終わり、急所を突くパスは見せられなかった。632試合の数字が入った記念Tシャツを着て、仲間が試合前に祝ってくれたが、節目は飾れなかった。

日本が初出場したW杯フランス大会の98年にプロ入りした。現役引退は平均で20代後半といわれるJリーグで、多くの仲間が先にユニホームを脱いでも第一線でプレーしてきた。横浜F時代から始まり、現在の宮本監督でのべ13人の指揮官に師事。国籍やサッカーの方向性が違っても「不得意な部分をやってまで試合に出るよりも、自分がこうだと見せてきた」。

大きなけががなかった鉄人だが、14年前、ウイルス性肝炎で現役続行の危機に立たされた。あらゆる治療で復帰させてくれた兵庫医大の関係者へ、約2カ月の長期離脱にも待ち続けてくれた当時の西野監督への感謝は忘れていない。この日の試合前、コロナ禍の中で戦う医療従事者へも、両軍と審判団で拍手を送って感謝した。

「自分もチームも毎年、勝負なのでいいシーズンにしたい。僕は(チームの中の)コマにすぎないので、しっかり機能するようにしたい。プロである以上、常に勝利を目指して次も全力を尽くしたい」。ヤット流でJリーグの頂点に立ったが、次も淡々と勝利だけを目指す。【横田和幸】

 

◆遠藤保仁(えんどう・やすひと)1980年(昭55)1月28日、鹿児島県生まれ。鹿児島実から98年横浜F入りし、京都を経て01年G大阪移籍。日本代表としてW杯には06年ドイツ、10年南アフリカ、14年ブラジル大会に出場。国際Aマッチ152試合出場(15得点)は歴代1位。愛称「ヤット」。178センチ、75キロ