新春の風物詩、東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝、来年1月2、3日)の季節がやってきた。連載「箱根のミカタ」では、箱根を愛してやまないツウたちが、自らの視点で箱根を語ります。1回目は「最強市民ランナー」の川内優輝(28)。学習院大時代に2度、関東学連選抜メンバーで箱根を走りました。

 強豪校の早稲田とか中央には負けたくなかった。関東インカレや日本インカレで勝っても「俺たちは箱根があるからな」みたいなことを言ってきました。であれば、彼らが人生懸けて挑んでいる箱根で倒さなければ認めてもらえなかった。

 箱根の山下り(6区)が決まってからトレイルランニングで山の中を2~3時間走ってアップダウンを鍛えました。多い時は週に2回ぐらい。強豪校がケガとかを恐れてやらない練習をやるしか、勝つ手段はない。基本的には距離走が中心。スピード、トラックでは勝てない。でもロングの箱根の距離なら十分戦える。しかも山下りという特殊な区間だったら行ける。岩をよじ登ったり、木の枝につかまって下りたり、けっこう激しくやりました。

 箱根には出たくても出られない人が大勢います。出られない人の分までしっかりやろうと真剣でした。4年生の予選会では3、4日前にハムストリングスを痛めました。塗り薬など全部使って、当日は「とにかく100番以内に入れば、あとはどうにでもなる」と走った。5キロからは両足に血豆ができ、それがハムストリングスの痛みを忘れさせてくれた。痛いけど必死です。山下りで60分切るのが大学4年間の目標なのに、そこで頑張らずに終わるのは絶対に避けたかった。粘った結果、38番でゴールしました。

 箱根のプレッシャーは相当でした。ほかのチームは10人で分散してプレッシャーを背負いますが、学連選抜は大学を1人で背負わないといけない。私が体調を崩したら大学自体出られないわけですから。日本代表になると日本中のプレッシャーなので箱根を経験していなければ精神的にもっとつぶれていたと思う。そんな経験が生きています。【取材・構成=菊川光一】

 ◆川内優輝(かわうち・ゆうき)1987年(昭62)3月5日、東京・世田谷区生まれ。埼玉・鷲宮中-春日部東高-学習院大-埼玉県庁。箱根駅伝は関東学連選抜で07年(6区1時間24秒=6位)と09年(6区59分27秒=3位)に出場。175センチ、59キロ。