2大会ぶりの総合優勝を目指す東洋大の服部勇馬(4年)が、多くの名ランナーを生み出した「花の2区」を2年連続で制した。大学駅伝集大成となる最後の箱根で、日本人では過去3人しか達成していない1時間6分台を目指したが、1時間7分4秒とわずかに及ばなかった。それでも今後のマラソン挑戦へ大きな可能性を示した。

 服部勇は自分の役割をかみしめて走っていた。山梨学院大・ニャイロが目の前を抜き去っても、ハートは揺れない。「最後は絶対にバテると思った。それは予定通り。絶対に勝つと思っていた」。16キロ過ぎの下り坂でニャイロに先行する。

 終盤に並走を許したが、ストライドは躍動感を保ったまま。心に誓った1時間6分台へ心臓破りの坂を駆け上がる。苦しさに顔がゆがんだ時、運営管理車から酒井監督の声が飛んだ。「お前が狙うのは世界だろ。6分台出るぞ。この1キロ、3分切らないとダメだ」。

 スローガン「その1秒をけずりだせ」。同郷の本間マネジャーに書いてもらったその腕を懸命に振り、弟弾馬につないだ。6分台まであと5秒届かぬ1時間7分4秒だった。1年から箱根に出場し、2区は2年(1時間8分43秒)から3年連続で務め、昨年は1時間7分32秒。目標を果たせぬまま、活躍の場をマラソンへと移す。2月28日の東京マラソンに出場予定だ。

 往路を終えた服部勇は姿勢を正して話した。

 「6分台を出したかった。日本人最高なら追いつけたのに。甘さがあった。弾馬のところでトップに立ちたかった。そこが機能しなかったのが2位の原因。僕が先頭に立てなかった。僕と弾馬の責任だと思う」

 安易に弟をかばわず、正直に話した。その弟弾馬は「最初の10キロはまずまずでしたが、リズムを変えられなかった」と、暗い顔で振り返った。兄弟リレーは終わった。

 1区での53秒差を22秒差に縮めたが、目標には5秒足りなかった。身を削って1秒を生む難しさを体に染みこませ、服部勇はマラソン界へ挑戦する。【井上真】

 ◆服部勇馬(はっとり・ゆうま)1993年(平5)11月13日、新潟・十日町出身。中里中から仙台育英高を経て東洋大に進学。3大駅伝では大学4年間で通算5度の区間賞を獲得。弟弾馬はトラック競技で、兄勇馬はマラソンでリオ五輪を目指す。1万メートルは28分9秒02。176センチ、60キロ。