学生連合の近藤秀一(4年)が1区で22番手となり、東大生として05年大会の松本翔以来14年ぶりに箱根路を駆けた。

スタートから集団についていたが、10キロ手前で遅れ始めた。15キロでは22番手で通過すると、そのまま鶴見中継所でタスキを渡した。

1、2年時は登録メンバー16人入りも補欠。前回大会は直前で病気欠場と箱根は近くて遠かった。それでも「東大から箱根に出て、弱小校で走る選手たちに希望を与えたかった」と貪欲に次のチャンスを目指してきた。今年8月に練習で左膝を痛め、練習再開が10月の予選会の3週間前となっても「良い状態で出るのが難しいのなら、それに合わせた走りをしよう」と開き直り、「4度目の箱根」を手繰り寄せた。

まるで箱根路を逆側から登ってきたような陸上人生だ。「この大学にいたら、好きじゃなかったらやる必要ないですよね」。日本の最高学府の東大で走る理由は、とてもシンプルだった。出身がまさに「逆側」。ゴールの芦ノ湖の先、山を下った裾野に広がる静岡県函南町で鍛えられた。転機は地元の韮山高2年の時。全国大会に届かなかった進学校の長距離ランナーは記録会で5000メートル14分27秒10で走り、駅伝強豪大学の目に留まった。「ただ、大学で勉強もしっかりしたかった」。ぼんやりと浮かんだ箱根駅伝の目標に、関東の大学に対象を絞ると、東大への受験が決まった。初年度不合格は想定内だったが、合格点までは1点。「だったら、浪人中にベストを出そう」と塾に通わない独自の浪人生活を送り、翌年赤門をくぐることになった。

東京では1人暮らしをしている。食事などの自己管理については「あまり気にしていない」と、好きな物を気兼ねなく食べているという。「何事も100点は難しいし、ストレスもたまる。他でカバーしながら、トータルで良い結果を出せればいいと考えています」。勉強やアルバイトで多忙な中、週3日の部活動のほかに自宅周辺や大学周辺を走るなど、工夫して練習時間を作っている。

韮山高の後輩たちが全国高校駅伝出場を決めたことも刺激にしていた。「今度の箱根は自分の集大成として、100%の力を出せると思う。自分の成長した姿を地元の人たちに見てもらいたいです」と期した舞台を走り抜けた。