男を上げた。中村匠吾(27=富士通)が前評判を覆し、2時間11分28秒で優勝。20年東京オリンピック(五輪)の代表に決まった。残り3キロからのスパートで2位の服部勇馬(25=トヨタ自動車)、3位の大迫傑(28=ナイキ)を振り切った。得意な暑さで実力を遺憾なく発揮し、26歳最後の日にV。駒大時代の恩師で、今も指導を受ける大八木弘明監督(61)を男泣きさせた。箱根駅伝で6度の優勝を誇る名門から初の五輪ランナーとなった。

最後のカーブを曲がると、視界に白のフィニッシュテープを捉えた。五輪へ続く最後の直線。中村は勝利を確信し、右腕を上げた。実感をかみしめるように広げた両腕を、小刻みに動かしながら、最後を駆け抜けた。夢の東京五輪だ。「自分自身のベストなパフォーマンスを出せた」。左腕の時計を止め、膝に手を置いた。大迫、設楽、服部、井上の4強を蹴散らした。

自ら動き、ねじ伏せた。残り3キロ。帽子を路上に投げ捨てた。スパートのスイッチを入れる。上り坂で、集団から前へ。服部と大迫とのサバイバルを仕掛けた。簡単にはいかない。1度引き離すも41キロすぎ、急加速した大迫に追いつかれた。だが、先頭は譲らなかった。残り1キロ。再びギアチェンジ。日本記録保持者にとどめを刺した。35キロすぎでは嘔吐(おうと)もしたが「最後まで自信を持って走れた」。前日朝に試走し残り800メートルが勝負どころと確信した。そのイメージを完璧に遂行した。

まぐれではない。持ちタイムは8番目でも、暑さには天賦の才がある。絶対の自信を持ち、レース前は「暑くなれ」と願い続けた。天は味方した。予報より気温は上がり、フィニッシュ時は28・8度。強い理由は「汗をかかない」(福嶋・富士通監督)。体にたまった熱を外に逃がす力が高い。体温も上がりづらく、パフォーマンスを維持できる特長を持つ。一般的にフルマラソンを走れば、体重の5%以上が減るが「あまり減っていなかった」とわずか0・5キロだけ。MGCの出場権を得た18年びわ湖毎日も最高気温19・5度。出場選手で切符を得たのはただ1人だった。暑さは耐えられるが、寒さは逆。チームスタッフは中村と一緒にいる時、夏も冷房を入れさせてもらえないことが悩み。だが、その体質は猛暑の五輪本番で最上の武器だ。

駒大3年時の13年、東京五輪が決まった。大八木監督の「マラソンで五輪を目指そう。一緒にやらないか」との言葉に胸を打たれた。卒業後も指導を受け続ける。意外にも過去に駒大陸上部OBで五輪に出た人はいない。「男だろ!」の喝で有名な闘将を「夢がかないました」と男泣きさせた。最高の孝行息子になった。【上田悠太】