14年ソチ五輪。米テレビ局の名物解説者として、ディック・バトン氏(88=米国)は、羽生結弦(22=ANA)のショートプログラム(SP)を絶賛した。「ただただ、息をのむほどに美しかった」。SP「パリの散歩道」は2年がかりで作り上げた最高の演技だった。ジャンプを含む要素はほぼ完璧。ブルースギターに合わせて色気のある男性を演じ、観衆を魅了した。

14年2月、ソチ五輪男子SPで演技する羽生結弦
14年2月、ソチ五輪男子SPで演技する羽生結弦

 人を引き込む演技とはどういうものか。造園家でもあるバトン氏は、庭と競技を比較し「空間にどう人を招き入れるかという部分で共通している」と語る。庭に見どころがあるように、「スケーターは、何万人もの観客が入る会場で視点を集めなくてはならない」。

 女子の演技を例に挙げて説明した。1人は02年ソルトレークシティー五輪銀、06年トリノ五輪銅のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。「ほっぺの赤い彼女は、まずはなをかみ、衣装を整え、水を飲む。うつむきながら滑って、スタート位置で作り笑いするんだ」。もう1人は84年サラエボ、88年カルガリー五輪連覇のカタリナ・ビット(ドイツ)。「彼女は氷の上に出た瞬間から、全ての観客の目が自分に向いていることを知っていた。結い上げた髪に軽く手をあて、コーチの助言を軽く聞き流し、軽やかに滑り出した」。バトン氏が望むのは、無邪気なスルツカヤの姿ではなく、女優然としたビットのふるまいだ。「フィギュアスケートはシアターであるべきだ」。

自宅のリビングで50年世界選手権の優勝杯を持つバトン氏(撮影・高場泉穂)
自宅のリビングで50年世界選手権の優勝杯を持つバトン氏(撮影・高場泉穂)

 伝説の演技がある。84年サラエボ五輪アイスダンス金メダル、トービル、ディーン組(英国)の「ボレロ」だ。それまでは明るい曲を使うのが主流だったが、彼らは単調なクラシック曲に合わせ、男女の悲恋を演じた。最後は氷に突っ伏し、死を表現。すべてが革新的だった。バトン氏はこの演技を象徴的な出来事の1つに挙げる。「スケーターは人を楽しませ、励まし、高揚させることが出来る。私が興味があるのは、素晴らしい動きそのものだ」。

 羽生は、SP、フリーともに過去3季で最も自分に合った曲を再び滑る。バトン氏が「今のトップ選手はみなクリエーティブであるのに、点を稼ぐことにとらわれ、そうあることが難しい」と指摘する点は、羽生も感じているのだろう。再演を決めたのは「心地よく、余計なことを考えずにいられる」からだった。4年前の「パリの散歩道」のように、再び五輪の舞台を「シアター」に出来た時、新たな歴史が刻まれる。(この項おわり)【高場泉穂】

 ◆ディック・バトン 1929年7月18日、米ニュージャージー州生まれ。48年サンモリッツ五輪フィギュアスケート男子シングルを18歳202日の史上最年少で制し、52年オスロ五輪で連覇を達成。世界選手権は48年から5連覇。世界で初めて48年に2回転半、52年に3回転ループに成功した。23歳で現役引退後は解説者として活躍。