小さなころ、オリンピック(五輪)と言えば「体育の日」だった。毎年10月10日、最初の東京五輪開催から2年後の1966年に開幕日が国民の祝日となった。前後には授業で五輪にまつわる話があったし、教室でも「甲州街道でアベベを見たんだ」など自慢話に花が咲いた。

10月10日が統計的に晴れが多い日であること、聖火の最終点火者は原爆が投下された日に広島で生まれた学生だったこと、五輪が世界平和の象徴だということ…。子ども心を五輪への興味にかきたてるのが「体育の日」でもあった。

10月10日という覚えやすい日は1999年まで。2000年からは10月の第2月曜日に変わり、18年には「体育の日」の名称も「スポーツの日」に変わった。アジアで初の五輪開幕日は特別な1日だったが、もう半世紀以上前。日にちが変わったことが「東京五輪開幕日」への意識を希薄にさせた。

1年間の延期を経て行われた2度目の東京五輪。開幕から1年の7月23日、国立競技場で五輪・パラリンピックの1周年記念イベント「TOKYO FORWARD」が開催された。

「そうか、1年たったのか」というのが、正直な思いだった。無観客で行われたため、多くの都民、国民にとって「東京での五輪」感は薄かった。高倍率の抽選で手にしたチケットは無効になり、選手や観客ら外国人と触れ合う機会も消えた。東京五輪はテレビやネットの中でのことで、身近なものではなかった。

思い返すたびに、新型コロナが恨めしい。都内の感染者が18人だった20年3月24日に1年の延期が決定。同366人だった同年7月23日には開幕1年前イベントが無観客の国立競技場で行われた。昨年の7月8日には896人で無観客開催が決定、同23日に1367人の新規感染者が出る中、五輪が開幕。1周年イベントで国立に1万5000人が集まったこの日、都内の感染者は3日連続3万人を超えた。

ワクチンの有無や重症化率、死亡率の違い、新型コロナへの知見も異なるから比較はできないし、する意味もない。ただ、数字だけを見比べると「何とかならなかったか」という思いは今も消し去れない。

もっとも、マイナスのイメージだけではない。イベントに招待された多くのボランティアは再会を喜び、記念写真を撮り「楽しかったね」「大会ができてよかった」と話していた。そこには、何物にも代えがたい「レガシー」があった。

完全な形ではなかったけれど、大会が行われたことは評価されるべき。世界との「五輪開催」の約束を果たせたことは胸を張るべきなのだろう。あとは、それをどう後世に、子どもたちにも伝えるか。心の「レガシー」にこそ、施設の後利用以上の価値がある。新型コロナ禍で行われた大会を検証しつつ、しっかりと残していく必要がある。恐ろしいのは、人々の記憶から消えてしまうことだ。

64年東京五輪開幕を記念した「スポーツの日」は、20年に2度目の開幕に合わせ7月24日に変更された。1年の大会延期で昨年は7月23日になった。今年は6年ぶりに10月の第2土曜日が10日になるが、これを機に恒久的に7月23日に移動してみてはどうか。

夏休み期間中の休日で子どもたちには反対されるかもしれないが、20年大会を思い返す機会にはなる。毎年、新型コロナでの苦労を含めて大会を振り返るきっかけがあれば、多くの人の心に大会が残る。1兆4000億円の経費をかけた東京大会、忘れ去られること以上に大きい「負のレガシー」はない。【荻島弘一】 (ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)