プレーオフへ望みをつなぐバーディーパットは、わずかに届かずカップの左縁で止まった。ダンロップ・スリクソン福島オープンで山岡成稔(25=こばやしようき)は、初めての最終日最終組を堂々と戦った。石川遼と並ぶ首位タイから出て、後続に2打差をつけてハーフターン。最後は秋吉翔太に1打及ばなかった。「残念ですね…。できることなら優勝したかった」。初のトップ10入りとなる2位にも、悔しさたっぷりに声をしぼり出した。

 大ギャラリーを引き連れての優勝争い。「ほとんど石川さん(のギャラリー)だったので、僕は気にしてなかった」と苦笑しつつ「楽しかったですよ。プロゴルファーをやっていて良かったと思いました」とも言った。口をついて出た素直な言葉には、重みがあった。

 プロ転向から2年はレギュラーツアーで12試合ずつ出場と経験を重ねた。3次予選会を通過できなかった昨季、レギュラー出場は予選会を勝ち上がった日本オープン1試合だけだった。「効きましたね…。こんなにいきなりきれいに(試合が)なくなるんだ、これがスポーツ選手なんだって。(大学を)卒業して1、2年はすぐに試合に出られて、ありがたみも分かっていなかったんだと思います」と自戒を込めて振り返る。

 戦いの場を求め、アジア下部ツアーに挑戦した。優勝賞金は100万円前後。「5位以内くらいで(渡航費などと)トントンですかね。赤字になっても(日本で出られる)試合がなければ、行くしかない」。アジアツアーには、母国開催の大会に限りレギュラーツアーの選手が下部にも参戦できる独特のルールがある。昨季賞金王のギャビン・グリーン(マレーシア)をはじめレギュラーの上位選手が「100万くらいの優勝賞金の試合でも必死に戦う」姿は、一層の覚悟を決めるきっかけにもなった。

 アジア転戦では「今思い返してもゾッとします」という衝撃的な経験もした。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄で、故金正日総書記の長男、金正男氏が「暗殺」された、昨年2月13日。現場となったクアラルンプールの空港に山岡もいた。「僕が到着した、その日にですよ。タクシーとかを探していたら、間違って(暗殺現場となった)出発ロビーの方に出てしまって…」。実際に犯行には出くわさなくても、自分がいた場所で後に何が起きたかを聞けば、恐怖を感じるのも当然だった。

 先にレギュラー定着への階段を上がっていく日大の同期の堀川未来夢や同学年で仲のいい竹安俊也を見て「あいつらがやれるなら、オレだって…」と反骨心を研ぎ澄ませてきた。涼しい顔で言う。「できないと思ったら、やめてますよ。普通に就職した方が、いいじゃないですか」。雌伏の1年で折れなかった心に加わった「いくらうまくても、試合がなければ仕方ない」という環境への感謝の気持ち。上位争いこそ初めてだったが、今季出場した8試合で予選落ちは1試合しかない。厳しい現実と向き合った時間は、間違いなく血肉となっている。【亀山泰宏】

ダンロップ・スリクソン福島オープン 最終日 2番、ティーショットを放つ山岡(撮影・林敏行)
ダンロップ・スリクソン福島オープン 最終日 2番、ティーショットを放つ山岡(撮影・林敏行)