世間でよく「二度あることは三度ある」てなことを言う。「ハッハッハ、それでいいんですよ」。ダンロップの住友ゴム工業クラブ担当者、松山英樹らをカバーする宮野敏一氏(41)が笑った。

日本時間17日昼すぎ、ソニーオープンで松山が優勝した。バックナインでヘンリーとの5打差を追いつき、18番パー5(551ヤード)のプレーオフ1ホール目のイーグル決着。残り277ヤード、逆光の第2打を3番ウッドでピン右前1メートル弱へ。ウルトラショットをテレビで見て、ぞわっとした。鳥肌気分を誰かと共有したくて電話した。

今、日本?

「今、オーランドです」

ハワイやなく?

「畑岡選手のクラブフィッティングで」

じゃあ優勝見てへんの?

「いや、さすがにこれ見なきゃ、俺何してんだって話になるじゃないですか」

松山のクラブ担当者は、松山がハワイの午後5時過ぎに手にした歓喜を、フロリダで午後10時過ぎにテレビで見た。

宮野さんはツアープロのクラブを調整するクラフトマンだ。外資系メーカーから20年始めに移籍し、松山の担当になった。担当初優勝は、昨年4月のマスターズである。ファン、関係者が狂喜乱舞した「日本男子メジャー初制覇」に携わった。腕も運も間違いなく持っている。しかし、その瞬間は生で見ていない。

オーガスタで水曜日までクラブを見たが、コロナ禍で本番はコースに入れず、日曜日に帰国。成田空港に着き、松山が4打差リードの首位で最終日を迎えることを知って仰天。優勝は、自宅のテレビで見た。

昨年10月のZOZO選手権もそうだ。千葉・習志野CC開催だから、さすがに…と思って聞くと「見てないんですよ」と言う。米国で帰国便に乗る前になり「コロナ陽性疑惑」が判明。その後、陰性とわかったが、飛行機に乗れなかった。

早藤将太キャディー、飯田光輝トレーナー、目沢秀憲コーチ、通訳のボブ・タナーさんらと同じく、世間は宮野氏を「チーム松山」と思っている。しかし、そう言われると、即座に、普通に“反論”する。

「それ、みんな言うけど、違いますよ。だって、僕はどこから給料もらってるんですか? 住友ゴム工業です。だから違うんです」

そう言われると、その通りだ。松山の状況を見た後、畑岡のクラブ・フィッティングをすべく、フロリダ州オーランドに飛んだ。そもそも、20年に移籍した動機は「松山君にすごく興味があった」ことは確かだが、同時に「僕自身、当時の状況に行き詰まりを感じていた。米国で勝負したい気持ちが強かった」からだ。

海外でダンロップのクラブを使うプロに携わることが楽しい。

「このあいだ、ブルックスに会いましたよ。ブルックス・ケプカです」。現在は世界ランク18位(16日時点)だが、元1位。全米オープン2勝、全米プロ2勝の実力者。世界屈指のショットメーカーは昨年11月に住友ゴム工業とクラブ使用契約を結び、ドライバーはスリクソンZX5、アイアンはスリクソンZX7、ウエッジはクリーブランドRTXジップコアを使う。

「勝手に何かヒールっぽいイメージを持ってたんですけど、これがまためちゃくちゃいいヤツで。ホント、いいヤツなんですよ」。その話っぷりに、自分のフィールドが広がっていく喜び、充実感がにじむ。

話は戻って、松山との関係性。2人のベクトルは同じ方向を指し、互いの信頼がある。ただ、必要以上にウエットではない。そんな距離感が、俯瞰(ふかん)的な視点を生み、的確な仕事につながるのかもしれない。「僕がクラブを見させてもらって3勝。全部(生で)見てないんです。不戦神話っすか? そりゃ違うか。不勝神話か。それでいいんですよ」。

宮野さん、かっこええやないですか。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/ゴルフコラム「ピッチマーク」)