開催のめどが立たない国内男女ツアー。プロゴルファーは今、何を思い、その時を待っているのか。

阪神・淡路大震災が起こった1995年の賞金女王・塩谷育代(57=伊藤園)が日刊スポーツの取材に応じ、「ゴルフをする申し訳なさがあった。ずっと悩んでいた」と当時を振り返った。渋野日向子ら黄金世代が活躍する現役プロには、悩み、考え、信じたことを貫いてほしいとエールを送った。【取材・構成=加藤裕一】

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世間を覆う閉塞(へいそく)感。種類は違うが似ている部分はある。塩谷は言う。「あの年は試合ができた。今年は違う。災害の種類も違う。違うから…どうなんだろう」。プロゴルファーがどうあるべきか。通算20勝の大ベテランでも明確な答えはない。

賞金女王となった95年、開幕前の1月17日に阪神・淡路大震災が発生した。午前5時46分、名古屋市の自宅にいた。「ああ揺れたな」と目が覚め、また寝た。起きて、テレビで燃える街を見て、絶句した。ただ「リアリティーは全然なかった」という。「自分は名古屋で普通に生活してるでしょ?」。兵庫・宝塚GCに拠点があった安井純子に「コースのお風呂を被災者に開放してる」と聞いてもピンと来ない。「本当に被災した人の恐怖、苦しみはわからなかった」。それが正直なところだ。

シーズンは予定通り開幕した。「勝ったりした時『喜んでいいの?』『賞金をもらっていいの?』と。でも、賞金を全額寄付することはない。常に『いいのかな?』はあるのに、売名行為のように受け取られるのも怖くて。ちょこちょことやれるなら、それでいい。そう言い聞かせていた」。

ゴルフが仕事と言い切る自信もなかった。「プロスポーツとして世間にしっかり認知されている感じがまだなくて、常に後ろめたさのようなものがあった」。11月に賞金女王を決め、周囲に配るテレホンカードを作る時、入れ物に「この年、大変な1年でした。申し訳なさと…」と書いた。

25年後の今、塩谷の目に渋野らはどう映るのか。

「私は賞金女王になったけど、ゴルフをやらない人も知ってる存在まではいかなかった。彼女たちの知名度は高い。私と比べものにならない。そして、彼女たちはやれることをやってます。SNSで情報発信したり、すごく考えて頑張ってるなと思う」

一方で自分と似た思いがあることもわかる。

「こんな状況でゴルフの練習をしてていいのか、と感じる人はいるでしょう。『早く試合をやって』と思う人もいると思う。いろんな思いがあるのは当然です。個々が立場を考えて、どうすべきか、悩みながら進んでいかないと仕方ないと思う」

ツアーを統括する日本女子プロゴルフ協会や、大会スポンサーにも話は及んだ。「大会を開催するか、中止するか。小林浩美会長も周囲には計り知れないものを抱えて、頑張っていると思う。スポンサーのトップの人も必死に考えて動いている。結果的に間違った形になれば、世間からもすごくたたかれる立場で決断しないといけない。自分にそれができるかと考えると、尊敬します」。

自分がどうすればいいか。悩む。考える。決めたら頑張る。15年前の賞金女王は、今を頑張る現役プロに期待している。

◆塩谷育代(しおたに・いくよ)本名伊藤育代。1962年(昭37)5月28日、名古屋市生まれ。鳴海中で陸上競技の走り幅跳びで全国大会優勝。桜台高卒後、練習場に入り、82年に2度目のプロテストで合格。日本女子オープン、明治乳業杯(現LPGAツアー選手権)日本女子プロの国内メジャー3冠を含めツアー通算20勝。92、95年賞金女王。11年にレギュラーツアー撤退。家族は夫、長男、次女。