夢が現実になった。マスターズで松山英樹が日本男子初のメジャー制覇を成し遂げた。

松山にとって念願だった勝利は、日本のスポーツ界にとっても快挙。さまざまな人物、側面から「夢のマスターズ 日本人初V!!」と題した連載で、この偉業に迫る。

     ◇     ◇     ◇

01年大会4位の伊沢利光(53)は松山の優勝を受けて「以前から松山君には勝つチャンスはあると思っていて、むしろ驚くことはなかった」と淡々と話した。日本選手歴代最高位を抜かれたことに「松山君に抜かれるものと思っていた。それが3位でも2位でも…」と続けた。

勝因に「米ツアーでトップ10に入る」と評価するドライバーの精度を挙げた。「ウッズだって、FWキープ率50%を切れば予選落ちする。フェアウエーを外れればバーディーチャンスが減り、パットに比重がかかる」。心理的な話。「ドライバーに不安があると、アイアンショットの時にスイングのことを考え、グリーン上でも次のホールの第1打が気になってしまう。集中しきれない」。これはどのメジャーでも当てはまることだが、「唯一無二」という難グリーンのオーガスタでは、なおさらやっかいというわけだ。

マスターズの魅力。伊沢にとっては、幼い頃からテレビでその美しさに魅了されてきた「あこがれのゴルフ場」だった。86年、46歳のニクラウスの劇的優勝に感動した。初出場だった01年大会初日の1番ティーは、現在でも「ゴルフ人生で最も緊張した」と振り返る。練習ラウンドとは勝手が違った。「ギャラリーが多くて近くて、『こんなに近いの?』と。ティーに1回で球が乗ってくれてよかった」。手が震えてティーペグに球を乗せられないことさえ懸念した。

その1番を終え、2番ティーに行く間に「楽しいな。テレビで見ていたコースで、プレーしているんだ」と、じわじわと幸福感がわき出てきた。伊沢はレギュラーツアーを戦っている中で、コースを攻略した充実感や優勝の喜びは語っても、「楽しい」という言葉は使わなかった。この日は“例外”だったのだ。

優勝したのは当時全盛期のウッズで、その好敵手だったデュバル、ミケルソンに次ぐ4位。当時、日本を沸かせた4日間を、本人は「長くも短くもなく、普通の4日間だった。でも、景色は覚えていない。どこにどんな花が咲いていたのかも」と照れ笑いした。それだけ、コース内に集中していたということだ。オーガスタにはホールごとに花木の名がつけられ、植えられている。

01年日本ツアー賞金王として期待を背負って臨んだ02年は、予選落ちだった。「1回目で(難しさがわかって)余計な情報が入って、避けなきゃいけない場所とか…。惑わされて、プレッシャーもあって」。いわゆる“オーガスタの魔女”だ。あこがれ先行で回れば怖いもの知らずだが、本性を垣間見ればワナを警戒せざるを得ない。他のメジャーと違って、同一コースで開催され続けるマスターズならではである。

オーガスタの魔女は誘惑もうまい。「コースはきれいだし、攻めたくなっちゃう、そそられるんですよね」。“緑のじゅうたん”と呼ばれるフェアウエーに球を運べれば、ピンをデッドに狙いたくなる。だが、迷う。過去の名手(マスター)たちの悲劇-例えば、13番パー5で「13」を打った中嶋常幸、最終日に6打のリードを守れなかったノーマンら-、歴史が選手に重くのしかかる。「今思い返すと、行くしかなかった。池は避けなきゃいけないけど、守って(グリーン中央狙いで)も、7メートルのパットがピンオーバーで15メートルになってしまうこともあるのだから」。

松山もそんな迷いを繰り返したのだろう。魔女との駆け引きを積み重ね、ついに攻め落とした。

伊沢は今でもオーガスタを「最も好きなコース」という。「怖いところ、それも魅力」と。「もう1度回ってみたいか?」の質問に「試合なら回ってみたい。プライベート(遊び)なら別に…」。真剣勝負でなければ、美しき魔女には会えないらしい。

伊沢が語るマスターズの偉大さは、そのまま松山が成し遂げたことの偉大さを伝えている。【岡田美奈】