胃がキリキリと痛み、手は震える。今まで感じたことのない重圧だったという。2011年7月10日、米コロラド州で開催された全米女子オープン。宮里藍は2打差6位で最終日を迎えた。しかし、13番終了時で通算3オーバーの7位に後退。日没サスペンデッドで翌日は残り5ホールを回ったが、結局5打差6位に終わった。悔しさを押し隠し「メジャー優勝に現実味を持てた」と懸命に前を向いた。

全米女子オープンは1946年に創設され、現存する最古の女子メジャー。賞金総額550万ドル(約6億500万円)で優勝賞金も女子ゴルフ史上最高額の100万ドル(約1億1000万円)。ラフが深く、コース設定も厳しく、最高難度のメジャーともいわれる。女子ゴルファーにとって、頂点ともいえる舞台。宮里にとっても、4大メジャーの中で、最も思い入れのある大会だった。幼いころから「勝ちたい」と夢を描いてきた。

当時の宮里には勢いがあった。主戦場として4年目となった09年に米女子ツアー初優勝。10年には年間5勝を挙げた。11年の全米女子オープンは初制覇へ、満を持して臨んだ大会だった。予選の2日目を終えて、1打差2位。過去11回出場し、トップ10には3度も入ったが、最も頂点に近づいた年だった。そんな全盛期の宮里であっても、優勝への壁は厚かった。今まで体験したことのない重圧の前に、得意のパットの繊細なタッチが乱れた。その後も米女子ツアーで3度優勝も、ついに悲願だった全米女子オープンのトロフィーを抱くことはなかった。

宮里を含め、数々の日本の名選手が涙をのんできた。そんなメジャーの中のメジャーの頂きへ、22歳の畑岡奈紗と19歳の笹生優花が争い、歴史的な日本人同士のプレーオフに突入した。そして笹生が大会史上最年少「19歳351日」での優勝という快挙を実現した。4月にマスターズを制した松山英樹に続き、女子でも笹生が日本人の常識を打ち破った。