松山英樹(29=LEXUS)が、逆転でツアー通算8勝目を挙げ、アジア人最多優勝数に並んだ。首位のラッセル・ヘンリー(米国)に2打差の2位で出て、7バーディー、ボギーなしの63をマーク。最終18番をバーディーとし、通算23アンダー、257でヘンリーに追いついた。同じ18番でのプレーオフ1ホール目ではイーグルを奪い、貫禄勝ちした。今季2勝目は、青木功(79)が最終18番で逆転した前身の83年大会以来の日本人Vとなった。

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松山はこの日「青木さんが勝った試合で勝てるのはすごくうれしいですし、日本人が複数回勝った(米ツアーの)試合はここだけだと思うので、それはすごくうれしいなとは思います」と喜んだ。松山にとって、青木は“最初に出会ったプロ”で6歳の時、故郷愛媛の奥道後GCで対面。青木が先生を務めたジュニアレッスンにも参加した。これまでも青木への憧れ、尊敬を何度も口にし、14年には青木のプロ50周年を祝う会に出席している。

青木は、米ツアーにおける日本男子のパイオニア的存在だ。80年全米オープン(ニュージャージー州バルタスロールGC)で帝王ニクラウスと4日間連続同組で回る「バルタスロールの死闘」を演じ、当時の2位は松山のマスターズ優勝まで「日本男子のメジャー最高位」だった。82年には日本男子初の米ツアー賞金シードを獲得、83年ハワイアンオープンで優勝。91年まで日米にダブル参戦、92年からは米シニアツアーを主戦場に9勝を挙げた。

青木はこの日「(優勝した)当時の自分に重ね合わせて見させてもらいました」「大変感慨深いです」などとコメントした。

◆青木功のハワイアンオープン優勝 40歳だった83年2月、ソニーオープンの前身で同じワイアラエCC開催だが、パー72設定の大会を第1日は6アンダー、66で首位タイ発進。第2日は70と通算8アンダーの5打差9位に後退したが、第3日は65で15アンダーとし、首位タイに浮上。最終日は17番を終えて18アンダー。前組でホールアウトしたレナーに1打差をつけられ、最終18番パー5でバーディー必須の状況の中、奇跡のイーグルを決めて逆転優勝を飾った。

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<松山のVデータ>

▼アジア人最多タイ 松山の米ツアー通算8勝は、アジア勢で崔京周と並ぶ最多記録。崔は「K・J・チョイ」の略称でも知られ、02年コンパック・クラシックから11年ザ・プレーヤーズ選手権までに8勝。日本ツアーで99年に2勝した。

▼苦手克服 松山の米ツアー予選落ちは初出場の11年から計21回。うち同一コース開催の6大会で15回と偏る傾向にある。ソニーオープンは3回(過去出場8回、最高20年12位)で、ウィンダム選手権(ノースカロライナ州セッジフィールドCC)の4回に続く相性の悪さだった。

▼プレーオフに強い 米ツアーで4勝1敗。唯一の負けは昨年8月フェデックス・セントジュード招待。3人で争い、A・アンセルに敗れた。日本ツアーでは2戦2勝。

▼得意の逆転劇 米ツアー8勝中、最終ラウンドの逆転は14年メモリアルトーナメント(第3Rで2打差3位)16、17年フェニックスオープン(同3打差2位、同4打差3位)17年ブリヂストン招待(同2打差4位)に続き5回目。