スペインの英雄的ゴルファー、セベ・バレステロス氏が7日、がん性脳腫瘍の合併症のため、スペイン北部にある自宅で死去した。公式ホームページで親族が明らかにした。54歳だった。19歳だった1976年に欧州ツアー賞金王。“セベ”の愛称で親しまれ、全英オープン3勝、マスターズ2勝とメジャーで計5勝を挙げた。日本でも77、78年と日本オープンを連覇。07年に現役を引退した後は、08年に脳腫瘍を患い、闘病生活を送っていた。

 世界的な名ゴルファー、「セベ」が逝った。08年に脳腫瘍で倒れた後、4度の手術を受け、スペイン北部にある自宅で化学療法を続けていた。09年5月にはスペインで行われたサッカーの試合観戦に訪れ、手術後初めて公の場に姿を見せて、ファンに体調の回復ぶりをアピール。だが「もう1度、ゴルフ場に戻ってきてほしい」というファンの願いは届かず、病状は悪化、ついに帰らぬ人となった。

 スペイン人らしく情熱的なゴルファーだった。76年に19歳の若さで欧州ツアーの賞金王に輝くと、一気に世界へと羽ばたいた。日本最高峰の77年日本オープンでは当時、日本ツアー最年少の20歳で優勝。78年に同オープン連覇を飾るなど、日本でも計6勝を挙げた。ビールのCMにも出演。お茶の間でも、おなじみの顔に。東日本大震災から5日後の3月16日付の自身のホームページでは「日本、私はあなたとある」と、日本への愛情を記していた。

 世界最古のトーナメント、全英オープンは79、84、88年と3度制覇。欧州勢が勝てなかった“ゴルフの祭典”マスターズでも80年に初優勝すると、83年にも勝って2勝。ジャック・ニクラウス、トム・ワトソンら強力米国勢に、欧州のカリスマ的存在として対抗。現在、世界ランク10位内に6人が占める「欧州隆盛時代」の礎を築いた。

 顔立ちは端正で彫りが深く、スイングも華麗で豪快だった。柔らかなアプローチ、強気なパットと小技の巧みさも非凡だった。表情も豊かで、大きなガッツポーズで何度も観客を魅了した。79年全英オープン最終日に、芝がない臨時駐車場まで球を曲げながら、バーディーを奪って優勝を遂げたシーンは、同氏のゴルフスタイルを象徴していた。その超攻撃的プレーを映像などで見た石川遼も「どこからでもピンを狙っていたイメージがあります」と、うなったこともあった。

 タイガー・ウッズが出現する前の80年代には、世界ランク1位にも立った。同世代のグレグ・ノーマン(56=オーストラリア)と人気を分け合ったが、メジャー2勝のノーマンよりも勝負強かった。だが、ドライバーのヘッドがパーシモン(木製)からメタルやチタンへと移行した90年代半ばに、スイング改造に取り組んだが成功せず、長期のスランプに陥った。それでも、97年には世界殿堂入りも果たした。07年に現役を引退。08年に脳腫瘍を患うと「人生で最も厳しいチャレンジになる」と、必死に病魔と闘ったが、ついに力尽きた。短く濃密だった54年。世界中から愛された情熱的ゴルファーが、天国へと召された。

 ◆セベリアーノ(セベ)・バレステロス

 1957年4月9日、スペイン・ペドレマ生まれ。4人兄弟の末っ子で、7歳からゴルフを始め、74年プロ転向。76年ダッチ・オープンで欧州ツアー初優勝。77年日本オープンで20歳7カ月の最年少記録で優勝し、翌年も連覇するなど、日本で6勝している。攻撃的なゴルフで世界中で活躍し、欧州ツアー48勝、米ツアー9勝など通算72勝。メジャーは全英3勝(79、84、88年)マスターズ2勝(80、83年)。世界マッチプレーは5勝で得意としていた。欧州賞金王6回。97年世界ゴルフ殿堂入り。07年に引退表明。183センチ、88キロ。