初の決勝進出を決めた帝京長岡は、中部大第一(愛知)に37-54で敗れ、準優勝に終わった。前半まで23-24とロースコアの接戦を演じたが、後半突き放された。先発の平均身長差12・4センチの相手の高さに、ボディーブローのように体力を奪われ、激しいディフェンスに見舞われてタフショットを打たされた。それでも同校最高成績の全国銀メダルで“歴史”の扉をこじ開けた帝京長岡はウインター杯で全国Vに挑戦する。

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悔しさは涙になった。主将のG田中空(3年)は上半身を折り曲げて号泣し、優勝を逃した地元のコートに涙を落とした。「地元開催という最高の場所でプレーして、優勝できなかったのが、すごく悔しい」。主将の涙はメンバーにも次々と伝染。F島倉欧佑(3年)が、PG箕輪武蔵(同)が泣いた。

「日本一になるのが、帝京長岡の歴史をつくることだった。(初めて)4強の壁を破ったのはうれしいけれど、みんなが望んでいたのは1位」。そう話した田中が一番、全国優勝を熱望していた。帝京長岡が県大会初優勝した13年の主将は8歳年上の兄涼さん(現中学校教員)。その年の全国高校総体は初出場で16強だったが、「兄は初の県1位なら、自分は(初の)日本一しかない。まだ、兄を超えていない」と言った。大学進学の準備でしばらく休部する予定。しかし冬には帰ってくる。夏に実現しなかった日本一を、ウインター杯で獲得するために、だ。

4月にはギラン・バレー症候群を発症し、1カ月間入院した。練習に戻った時は「フリースローが届かないほど、筋力が落ちていた」。そんな大病からの復活だった。

サブスタートだが、身を粉にするディフェンスでチームを鼓舞した。決勝は相手のタイトなディフェンスに見舞われ、チームの2点シュート成功率は25%、3点シュートは14%。ロースコアに抑えられ、田中も3点シュート1本の3点にとどまった。「この負けを生かしたい」と田中。帝京長岡の新しい歴史作りはまだ、続く。【涌井幹雄】