改名でワースト記録から脱出だ!

 大相撲九州場所(15日初日、福岡国際センター)の新番付が発表され、番付に初めて名前が載って以来38場所連続負け越しという不名誉な記録を持つ森川(22=大嶽)が森麗(もりうらら)としこ名を変えて再スタートを切った。史上最弱の競走馬として名をはせた「ハルウララ」を連想させる名前で周囲も「愛される力士に」と期待を寄せている。

 森麗は戸惑っていた。序ノ口力士が会見を行うこと自体異例だが、福岡市内の部屋には関取の改名会見並みの報道陣約20人が殺到。改名の感想を聞かれた森麗は「うれしいです…。聞いた時はビックリしました…」と蚊の鳴くような声で答え、恥ずかしそうな笑顔を見せた。

 競馬界で113連敗を喫して一躍人気者となったハルウララをほうふつとさせるしこ名だ。同席した二子山親方(元十両大竜)も「(ハルウララと)ダブる部分はある。だから、負けてもみんなに愛される力士になってほしいという願いを込めて(大嶽)親方と相談し決めた」と経緯を説明した。

 二子山親方いわく「もともと内気な性格で自己表現が苦手な子」。それでも小学2年から始めた相撲だけは大好きだった。森川少年が中学3年だった02年夏、知人の紹介で大嶽部屋に体験入門。人付き合いは得意な方ではなかったが、師匠や兄弟子の厳しくも温かい指導が「うれしかった。帰りたくなかった」。当初、1週間だった予定を3週間まで延ばして居続けた。

 翌03年夏に初土俵を踏んだが「しこやまた割りはもちろん、最初は茶わん1つろくに洗えずホウキも使えなかった」と二子山親方。今夏も体験入門に来た柔道部の高校生にあっさりと寄り切られるなど、実力は力士と呼ぶにはほど遠い。勝ち越すと増える持ち給金もいまだ入門時の3円(支給額は4000倍)のままで、もらったことすらない。それでも根性だけはあった。度重なる負け越しに二子山親方も「ボチボチいいだろう?」と何度となく引退を勧めたが、そのたびに森麗は「やめたくない…」と泣きながら訴えたという。

 38場所連続負け越しという不名誉な記録を更新中だが、目標とする力士は「大関栃東関(現玉ノ井親方)です」と言い切る。二子山親方も「最近は(栃東のように)頭を下げて取ろうと努力している」と笑顔。初めての勝ち越しの味を知るため、森麗は今日もけいこに励む。【山田大介】