金字塔を打ち立てた。07年8月15日、仙台育英(宮城)のエース佐藤由規(現ヤクルト)が、甲子園をどよめかせた。智弁学園(奈良)との2回戦の4回裏、甲子園のスピードガン計測で史上最速の155キロをマークした。13年夏に済美(愛媛)の安楽智大(現楽天)に並ばれたが、今も記録は破られていない。度重なる故障を乗り越えながらも、投げ続けるプロ11年目右腕の原点は高校時代の“あの1球”にあった。

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 甲子園の電光掲示板に「155キロ」が刻まれた瞬間、球場から地鳴りのような歓声が上がった。カウント1-2から投じた4球目。三振を奪いにいった外角高めの直球が、うなりを上げて捕手のミットを突き上げた。“あの1球”は10年以上たった今でも鮮明に記憶していた。

 由規 球速を出しにいったと言うとおかしいけど、出るとするなら三振を取りにいく時。ボールだったけど、指にもかかっていたし、自分の中では手応えがあった。球場に歓声が湧いて、鳥肌が立ったのは覚えている。

 高校入学時は120キロ後半の投手兼遊撃手。投げ込みを続けた1年冬に最速140キロまで急上昇した。打者に球が当たって故障するのを防ぐため、ブルペンには打者代わりのサンドバッグを立たせたほどだった。

 由規 コントロールというよりは、球威で押すことしか考えていなかった。打者が怖いのは真っすぐ。球威で押せるのが一番。納得いくまで投げ込んで自信をつけたし、投げないと不安だった。1日100球は必ず投げて、そこから調子が上がってくる。200球ぐらいは普通に投げていた。単純に走りたくなかったんですけどね(笑い)。全身を使って投げ込めば、走るのと一緒。それだけ自信を持って投げ込んできたからこそ、仙台育英のエースとしてマウンドに立てた。

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 卒業後はドラフト1位でヤクルトへ。プロ3年目には当時の日本人最速となる161キロをたたき出したが、その後は右肩腱板(けんばん)損傷などの故障に苦しんだ。16年に1786日ぶりの勝利を挙げるまでの4年間は登板すらできず、その間に育成選手契約も味わった。つらいリハビリ中に見た高校時代の動画の中から、自分の原点を見つけ出していた。

 由規 いまだにあの動画をたまに見る。ヒントがあるんじゃないかと。あの頃とは体つきも投げ方も違うけど。高校の時は無我夢中で勝つためにやっていた。困った時にはがむしゃらに投げたり「打ち損じてくれ!」と思って強気に投げないといけなかった時もあった。場面や状況にもよるけど、投手は気持ちを込めて投げるしかない。それをずっと高校野球で続けてきた。

 7年ぶりに開幕ローテーション入りした今季は2連敗スタートだったが、4月22日に今季初勝利を挙げた。制球が定まらずに苦しんでいたのが一転、気迫のみなぎる投球でつかんだ初勝利に活路を見いだした。

 由規 負けた2試合では、打たれないようにとか、うまく投げようとか、変な雑念がいっぱい出てきて、打者との勝負に集中できなかった。勝った試合は、次に打たれたら終わりだ、ぐらいに開き直れた。打たれてもいいから、がむしゃらに腕を振ろう、という気持ちで投げられた。高校野球がいわば、僕の原点です。【高橋洋平】

 ◆宮城の夏甲子園 通算69勝65敗。優勝0回、凖V3回。最多出場=仙台育英26回。

07年8月、全国高校野球選手権大会2回戦 智弁学園対仙台育英 佐藤由規の投球に155キロが表示された
07年8月、全国高校野球選手権大会2回戦 智弁学園対仙台育英 佐藤由規の投球に155キロが表示された