7月23日に日米通算200勝を達成した広島黒田の表彰式が行われた8月10日の広島マツダスタジアム。元南海ホークスの名選手で日刊スポーツ評論家の広瀬叔功氏と記者席に並んで、ブレザーを受け取る黒田を眺めていました。

 名球会メンバーで今月27日に80歳を迎える広瀬氏は「球界のレジェンド」という立場からは想像できないほどフランクな人柄です。

 若いころ友人がクルマを買うのに付き合って販売店に行ったら「広瀬さんも買えば」と誘われてノリで購入。「まあ免許は持ってなかったんだけど」と信じられないような話を披露してくれます。

 私事ですが自分の母親と同い年なので、より親近感があるのですが。

 その広瀬氏が黒田の姿を見ながら、思わずという感じでポツリ言いました。

 「ワシらのころはこんな表彰とかはしてくれんかったけどなあ」

 イチロー、広島新井、黒田と記録達成にわく今季ですが、確かに昔はあまり大騒ぎをしなかったというか、さほどイベントとしては取り上げられなかったような感じもします。

 その広瀬氏が通算2000安打を放った夜のことを教えてくれました。

 「あれは平和台球場で試合をした日やったな」

 資料によると72年(昭47)7月1日の西鉄戦です。

 偉大な記録を達成したわけですが球場で特別なことは何もなく、その夜は後輩たちと福岡・中洲のスナックに飲みに出たそうです。

 ところが店の客の中に野球通がおり、記録達成のことも知っていた。加えて歌手の黒木憲もそこに居合わせたそうです。

 黒木憲といっても若い人はさっぱり分からないでしょうが、ある年代以上の方なら誰でも知っている名歌手。68年に「霧にむせぶ夜」をヒットさせています。53歳の私も名前ぐらいしか知りませんが、とにかく当時のスターだった。

 記録達成を知った黒木憲は「それなら私に1曲、お祝いで歌わせてください」と言って、これもヒット曲の「久しぶりだね」をその場で披露したといいます。

 「あれはうれしかったなあ」と広瀬氏は振り返りました。なんとも当時の雰囲気を感じさせる話です。

 広瀬氏が主力選手だった南海ホークスが日本シリーズで阪神タイガースを倒し、日本一に輝いた64年(昭39)は、言うまでもなく東京五輪の年です。

 リオ五輪真っ盛り。東京での2度目の五輪が行われる2020年に向かって注目が集まっていますが、古き良き時代のエピソードも味わい深いものです。