選手が故障から復帰するとき、マイナーリーグでリハビリ出場をするのがメジャーの慣例だが、それがスター選手となると、小さな町がちょっとしたお祭りムードとなって、大変な盛り上がりを見せる。レンジャーズのダルビッシュ有投手が、右肘靱帯(じんたい)の手術から復帰するときがまさにそうだった。

 ダルビッシュが最初と最後にリハビリ登板を行った傘下2Aフリスコのホーム、ドクター・ペッパー・ボールパークは、レンジャーズの本拠地アーリントンから車で1時間程度と近いため、ファンが殺到した。最初の登板が正式発表されたときにはフリスコの公式サイトでも告知が行われ、数千枚のチケットが瞬時で売れたと、球団職員が話していた。同球場の収容人数は1万316人だが、当日はキャパを超える1万1842人の観衆が集まり超満員。球場のコンコース内にはダルビッシュ投手のユニホームが展示されたブースもあり、球場全体がまさに「ダル・デー」という雰囲気だった。傘下3Aラウンドロックのホーム、デル・ダイヤモンドで登板したときも、収容人員1万1631を超える1万3194人と過去最高の観客動員数に迫った。ラウンドロックはアーリントンからは車で約3時間半の距離だが、それでも背番号「11」を着たファンが大挙詰め掛けていた。

 傘下2Aフリスコでの4度目のリハビリ登板はテキサス州ミッドランドで行われたビジター戦だったが、それでも「11番」を着けたファンが大勢いた。球場は選手のクラブハウス入り口が客席裏側のコンコースにあり、ダルビッシュの登板が終わると同時に、入り口にファンの人垣ができていた。警官2人と球場スタッフが前に立ち警備するという物々しい雰囲気だったが、それでも警備をかいくぐり報道陣に紛れてクラブハウスに侵入してくる強者も出るという騒ぎだった。試合後にミッドランドの地元テレビニュースを見ていると、スポーツコーナーのトップでかなり長い時間、ダルビッシュの登板を紹介しており、敵地とはいえミッドランドでも大きな注目だったことを物語っていた。

 こうしてマイナー球団のある町を駆け巡った「ダルビッシュ旋風」。相当な経済効果もあったのではないだろうか。