オリックス節目の1万試合で金子千尋投手(31)が3勝目を挙げた。7回まで2安打の完封ペース。8、9回に失点し、完投まであと1人で降板したが、復活を印象づけた。打線は4番T-岡田外野手(27)が決勝打。パ・リーグ一番乗りとなったメモリアルゲームでエースと主砲が輝いた。

 やっぱり“持ってる”エースだ。ちょうど1万試合に登板が重なり、しっかりと白星で飾った。金子は、球団の伝統と歴史をあらためて感じていた。

 金子 試合中にスクリーンに映し出されて知った。ちょうど1万試合に投げられたのは光栄だし、勝てたのは良かった。積み重なってきたものがある。今までの先輩方の功績を引き継いでいきたいなと思う。

 小学生の時のあこがれはイチローだった。「人気もあったし、実力もあった。阪急よりオリックスの印象が強いですね」。現在のチームの“顔”は、序盤から相手打線を支配した。

 7回終了でわずか76球。「ロッテ打線は早いカウントから打ってくる。対応して打ち取れた」。8回に連続失策から失点。9回はあと1死で平野佳に託したが、今季最長のイニングを投げた。先の楽天3連戦で救援陣がのべ13人も登板。リリーフを休ませたい状況で、完投目前まで投げた。

 修正を図っていた。前回5日のソフトバンク戦は自己ワーストタイの8失点KO。「フォーム的には変えていない。コントロールを気にしながら、しっかり腕を振ってストライクゾーンに投げることを考えた」。その結果が無四球のテンポいい内容につながった。

 大きな刺激材料があった。前日12日の楽天戦で近藤が4年ぶり勝利。4度の右肘手術を乗り越えた同い年の友人には朝、会うと「おめでとう」と祝福した。

 金子 勝ったのはうれしかった。入団時から一緒にいる数少ない選手なので。僕も手術の大変さは分かっている。しかも4回も。1軍で投げていることがすごい。僕も負けてられないという気持ちになった。

 自身の3連敗を止め、チームの連勝を4に伸ばした。「これからも勝つことだけを考えてやっていく」。最多勝、沢村賞など多くの勲章を手にしてきた右腕。これからも球団のページにその名を刻んでいく。【大池和幸】

 ◆オリックス・バファローズ 1936年(昭11)に「大阪阪急野球協会」として誕生。37年に西宮球場を開場させ、本拠地とする。47年に愛称を「ブレーブス」に決定。50年の2リーグ分立でパ・リーグに加盟し、67年に初優勝。75年から3年連続日本一。89年からオリックスが球団を経営。91年に「ブルーウェーブ」と改称し、神戸市に移転する。04年オフに近鉄と球団統合し、現球団名となる。現在の本拠地は京セラドーム大阪。

 ◆チーム通算1万試合=オリックス 13日のロッテ11回戦(京セラドーム大阪)で達成。初試合は阪急時代の36年4月29日セネタース戦(甲子園)で、1万試合到達は3日に達成した阪神に続き2球団目。オリックスは巨人、阪神、中日とともにリーグ戦が始まった36年から参加している。