ヤクルト館山昌平投手(34)が4回、阪神岩崎から左翼へ自身プロ2発目となる3ランを放ち、首位阪神をたたいた。投球ではなく打撃での大仕事。負ければ自力優勝が消滅する崖っぷちで、踏みとどまった。これで阪神と再び1ゲーム差に迫り、明日9月1日からはゲーム差なしにつける3位巨人との直接対決。勝負どころのラストスパートに臨む。

 ベテラン投手らしい読みがあった。ヤクルト館山は敬遠直後の岩崎の心理を読んだ。「自分なら初球はインコース直球か変化球。直球に絞っていった。打っていいという指示だったので、思い切って振ったら当たりました」。内角低めの134キロは、長距離打者が放ったかのような高い放物線を描いて左翼席に届いた。

 10年8月6日の横浜戦で、大家からバックスクリーン右への3ランを打った。それ以来、通算2本目の本塁打だ。パワーはある。かつてはチーム屈指の筋トレマニアで、遠征先にも重いバーベルを持参していた。筋肉質な体格から、入団当時のバレンティンからは、柔道家のポーズをしただけで恐れられたこともある。

 7度の手術経験で151針の傷痕を持つ男は、打撃でも試行錯誤してきた。05年秋のキャンプでは左打ちに挑戦したが、右腕の神経を痛めてしまった。12年には血行障害の影響で打つと右肘に痛みが走り、左打ちへの再挑戦を考えたほどだった。だが、2度の右肘手術に費やした期間を経て、体は万全に戻った。この日は2打数2安打。本職以外での活躍に「ピッチングがふがいなかった分、集中してました」と、照れくさそうに言った。

 館山の前に甲子園で本塁打を打った日本人投手は西武松坂(現ソフトバンク)だった。同世代のライバル。かつて日大藤沢のエースとして、横浜・松坂とは神奈川大会で壮絶な延長戦を投げ合った。だが今は、ともに右肘靱帯(じんたい)再建術を受けた戦友でもある。リハビリ中の松坂のことは、共通の知人を通して、状況を気にかけている。きっと勇気づける活躍になったはずだ。

 真中監督が「俺たちはチャレンジャーだ」とゲキを飛ばして臨んだ巨人、阪神との6連戦を5勝1敗で切り抜けた。「この試合を絶対に勝ちたいという強い気持ちだけで必死に投げました」と館山。自らの援護射撃が効いた。【竹内智信】

 ▼ヤクルト館山が10年8月6日横浜戦以来、自身2本目の本塁打を放った。甲子園球場で本塁打を打った投手は、07年4月12日ボーグルソン(阪神)が中日戦で記録して以来、8年ぶり。日本人投手では06年6月9日松坂(西武)以来となる甲子園球場での1発だった。ヤクルト投手は今月5日巨人戦で小川が本塁打を打ったばかり。ヤクルトで同じ月に2人の投手が本塁打は、95年7月に23日横浜戦で山田、29日巨人戦で石井一が打って以来、20年ぶり。