中日谷繁元信兼任監督(44)が今季限りで現役を引退し、来季は専任監督として続投することが14日、分かった。7月にプロ野球新記録の3018試合出場を達成。27年間の選手生活に区切りをつけることを決断した。一方で、この日までに白井オーナーから監督続投要請を受けた。3年目は自身初の「専任」監督として、最下位に沈むチームの強化に全力を挙げる。

 横浜(現DeNA)と中日で計5度の優勝を経験し、史上誰よりも多く試合に出続けた名捕手がマスクを脱ぐ。この日は「気持ちは固まっている。そのときが来たら話します」とだけ話したが、今週中に引退会見を開く。ナゴヤドームのファンにも最後のプレー姿を見せる予定だ。

 兼任監督2年目。シーズン序盤は監督業に重きを置くため出場を控えた。その後も腰痛の影響などもあり、ここまで27試合の出場にとどまっている。それでも7月に野村克也氏を抜く3018試合出場のプロ野球記録を樹立した。

 大記録に到達したのを区切りに、今季限りで選手生活を終える考えは以前から持っていた。シーズン終盤に入って、白井オーナーや落合GMを中心にしたチーム再建策を考えていく中で、後進に道を譲ることが正式に決まった。

 ドラフト1位で大洋に入団。強打に加えて、強肩とキャッチングを武器に高卒1年目から80試合に出場。以降、順調に出場を重ね、98年には横浜を優勝に導いた。02年に中日にFA移籍してからも不動の正捕手として4度の優勝に大きく貢献。13年には通算2000安打も達成した。今年は入団から27年連続本塁打の日本記録を作った。

 だが、体力の衰えは隠せなかった。試合に出るごとに調子を上げるタイプだったが、今年は1試合出ると何日もダメージが残った。限界を悟った。その中で後進の育成を本格的に進めてきた。後半戦は自身の出場を控え、若い杉山、桂の2人を併用し続けてきた。

 同時にオーナーからは監督続投を要請された。チームは4月に首位を走りながら、次第に息切れ。現在は最下位に落ち込み、4年ぶりの優勝はおろか、クライマックス・シリーズ(CS)も絶望的な状況だ。それでも同オーナーは監督としての才覚を評価、一方で7月のオーナー報告の際には「一人二役は大変な労働。監督に専念すれば楽になる」と兼任続行には否定的な考えを明かしていた。

 前日13日に4年連続で優勝を逃すことが決まった。Bクラスも決定的な状況だ。4年契約の3年目からは「兼任」の肩書が外れる。谷繁監督にとっては指揮官として真価が問われるシーズンになる。

 ◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)で2、3年夏に甲子園出場。3年夏の島根大会での7本を含む高校通算42本塁打。88年ドラフト1位で大洋入団。98年には38年ぶり日本一の原動力に。01年オフにFAで中日移籍。27年連続本塁打&安打はプロ野球記録。98年ベストナイン。ゴールデングラブ賞6度。盗塁阻止率リーグ1位5度。球宴出場12度。06年のWBC日本代表。13年5月に、当時史上最年長で2000安打達成。今年7月、3018試合出場のプロ野球新記録を樹立。176センチ、81キロ。右投げ右打ち。家族は夫人と3男。推定年俸1億9000万円。

 ◆兼任監督メモ 兼任監督のその後は(1)監督を辞めて選手も引退(2)監督を辞めて選手は継続(3)選手は引退して監督に専念と、3パターンがある。(1)は62~69年中西監督(西鉄)70~72年村山監督(阪神)らがおり、06、07年古田監督(ヤクルト)も07年限りで監督を辞めて退団、現役も引退した。(2)は野村監督(南海)が有名。70~77年に南海の兼任監督を務めたが、77年限りで南海を退団し78年はロッテ、79、80年は西武でプレー。75年江藤監督(太平洋)も兼任監督は1年限りで、76年はロッテに移籍して現役を続けた。(3)は岩本監督(東映)別当監督(毎日)らがいる。岩本監督は56~58年が兼任で登録(選手出場は57年が最後)して59、60年は監督、別当監督は54~57年が兼任、58、59年は監督に専念した。