阪神南信男球団社長(60)が退任することが19日、明らかになった。今回は新監督選任にあたって金本氏に白羽の矢を立て、一本化された後は、球団の先頭に立つ形で直接交渉を続けた。新監督の招聘(しょうへい)に成功したのも、同社長の熱意と粘り強さが決め手になった。

 電鉄本社から球団に出向後は、広報担当で村山監督付としてチームに同行したのが手始めだった。チーム低迷でメディアから厳しい批判を受けても、取材する側と膝詰めで論議を重ねながら調和をはかるなど、現場では「名物広報」として知られた人物だった。

 営業部門を経験した後には甲子園球場長も歴任。その間、球場リニューアルに向けてメジャー視察を重ねるなど、風格のある甲子園のイメージを保つのに貢献。07年シーズン途中の6月に球団社長に就任以来、約8年半の長きにわたってチーム強化に取り組んだ。

 村山、中村、藤田、吉田、野村、星野、岡田、真弓、和田とつむがれた体制を内外からアシスト。タイガースの歴史と伝統を重んじながら球団経営にあたったまれな存在だった。現場での経験が長いこともあって他球団からも一目おかれた。紳士的な人柄とともに熱血漢のエリート。バランス感覚に優れていたことで、取材陣からの信頼も厚かった。

 今月末の役員会で承認され、11月1日付で退任し、球団顧問に就く。代わって四藤慶一郎球団専務(55)が昇格。金本体制を支えるフロントも刷新される。

 ◆南信男(みなみ・のぶお)1954年(昭29)12月7日、兵庫県生まれ。77年に阪神電鉄入社。87年7月に阪神球団に出向し営業部課長、広報部次長など歴任。94年に本社に復職。04年7月から常務取締役・営業部長として球団に再出向。06年6月から専務取締役・営業部長。07年6月社長就任。

 ◆四藤慶一郎(よつふじ・けいいちろう)1960年(昭35)9月27日、大阪府生まれ。84年に阪神電鉄に入社。経理部を経て、不動産部門で西梅田開発などに携わる。秘書部長などを務めた後、09年に専務取締役としてタイガースへ出向した。