覚せい剤取締法違反(所持、使用、譲り受け)の罪に問われた元プロ野球選手清原和博被告(48)に東京地裁(吉戒純一裁判官)は5月31日、懲役2年6月、執行猶予4年(求刑懲役2年6月)の有罪判決を言い渡した。

 傍聴席で判決を聞いた。彼の顔を見るのは久しぶりだった。最後に会ったのは昨年の夏…いや春だったか。青いハンカチで何度も顔の汗を拭く姿を見つめた。“再会”は約10分間と短く、当然ながら会話もないまま終わった。

 もし許されるなら、ひと言だけ伝えたかった。初公判で彼は「罪を犯した自分が野球に向き合うのは野球に失礼だと思う」と言った。彼らしい言葉と思ったが、これは違う。間違っていると言いたかった。

 確かに野球界には戻れないだろう。身の置き場はない。だが、どんなに細い線でも、野球とのつながりは彼の命綱だ。これが切れたら永遠に別世界へ行ってしまう気がする。情状証人で出廷した佐々木氏ら球友や、名球会が手を差し出してくれたら、しっかり握り締めてほしい。「野球に失礼」などという美学は、この際どうでもいい。

 私は野球記者として、彼の華やかな現役時代、そして引退後の評論活動も担当した。薬物疑惑が報じられた後も連絡を取っていた。

 ただ、話題は野球ばかりだった。引退後の喪失感、薬物から抜け出せぬ苦しみ、愛する息子たちとの別れ…彼の心の闇に迫ることはできず、いつも野球の話をしていた。彼にとって私は、相談に値する存在ではなかった。おそらく彼は、野球を語りたい時だけ私に電話をかけてきたのだろう。

 奇行とされる白スーツで巨人キャンプを訪れた夜は、原監督(当時)の人心掌握術について語った。「選手に声をかけるタイミングが絶妙。そのへんを勉強したい」。侍ジャパンの戦いぶりを語り、イチローの打撃に解説し…好きな選手をたたえ、そうでない選手を徹底的に批判する。そんな偏りはあったが、野球の話は止まらなかった。

 最後にゆっくり話したのは、阪神金本監督が就任を受諾した昨年10月17日だったと思う。夜中の1時ごろに電話がきて「断ると思ったけどな」と言いながら、阪神再建への期待を語った。周囲がにぎやかだったから飲んでいる席だったのだろう。上機嫌だった。野球の話をする時は、いつも機嫌が良かった。

 私との電話も、彼と野球をつなぐ線になっていただろうか。弱く、か細い線だけど…。逮捕された後、そんなことを考えた。そうだったと信じ、今も携帯電話の着信音量を最大限にして枕元に置く。また野球を語りたい。野球との線が切れぬ限り、清原和博は必ずやり直せるはずだ。【野球部次長・飯島智則】