プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月9日付紙面を振り返ります。2007年の1面(東京版)は日本ハム新監督に梨田昌孝氏でした。

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 日本ハムが来季新監督として梨田昌孝氏(54=日刊スポーツ評論家)を招へいする方針を固めたことが8日、明らかになった。近鉄監督時代に優勝経験を持つ梨田氏の卓越した野球理論、育成法など、その手腕を高く評価。近く正式要請を行う。パ・リーグ連覇を遂げながら、今シーズン限りでの辞任を発表しているトレイ・ヒルマン監督(44)の後任候補がようやく固まった。

 5年に渡る長期政権となったヒルマン監督の後任として、日本ハムは梨田氏の招へいを決めた。複数の候補者の中から一本化。近日中に正式要請を行う方針を固めた。

 球団はここまで慎重に人選を進めてきた。9月8日にヒルマン監督が今季限りでの辞任を発表。同監督は球団側へ、そのちょうど1カ月前の8月8日に辞意を伝えていた。慰留すると同時に後任監督のリストアップ作業を開始。約2カ月間に渡って慎重な調査を進めたきた。検討を重ねた末、来季は3連覇のかかるシーズンともなり、結果を求められるだけでなく、精神的負担も多いことから、豊富な経験を持つ人材が適任と判断。ここにきて複数の候補の中から経験豊かな梨田氏に絞った。

 梨田氏は04年まで近鉄で5年間の監督経験を始め、バッテリーコーチや2軍監督など指導者としての豊富なキャリアを高く評価した。同氏は捕手出身で独自の野球観を持ち、監督就任2年目の01年には中村紀(現中日)ローズ(現オリックス)を看板にした「いてまえ打線」で12年ぶりリーグ優勝に導いた。

 若手指導にも定評があり、スカウティングと並び日本ハムの2本柱の1つである育成も任せられるとみている。日本ハムはパ・リーグを連覇したとはいえ、来季も若手野手の底上げが課題となる。発展途上にあるチーム状況も考慮して、白羽の矢を立てた。

 野球に対する真摯(しんし)な姿勢が、球界内で評価が高い点も「ポスト・ヒルマン」の決め手になった。日本ハムは04年の本拠地北海道移転を機に球団を改革。メジャー流のGM制を取り入れるなど、組織の強化を図っている。梨田氏は04年に近鉄が合併で消滅後、評論家として活動。その間、何度か渡米し、大リーグを勉強する一方で、国内のプロ野球でも各球場に積極的に足を運び、精力的な取材を重ねた。

 大社オーナーはかねて「これまでのやり方を継承してくれる人」と後任の条件を話しており、ヒルマン監督が積み重ねてきた野球を、梨田氏が引き継いでくれる資質を持ち合わせていると判断。すでに水面下での周辺調査は終えており、梨田氏サイドの意向も踏まえた上で、近く正式要請を行う。

 ◆梨田昌孝(なしだ・まさたか)1953年(昭28)8月4日、島根県生まれ。浜田高から71年ドラフト2位で近鉄入団。プロ3年目にレギュラーとなり、79年から5年連続パ・リーグ盗塁阻止率1位の強肩捕手。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞4度。球宴に6度出場し、83年第2戦ではMVPを獲得。88年に現役引退。通算成績は1323試合、打率2割5分4厘、113本塁打、439打点。野球評論家を経て93年に作戦バッテリーコーチで近鉄復帰。96年から2軍監督を務め、00年に1軍監督就任。1年目は最下位に終わるも翌01年に近鉄を12ぶりのリーグ優勝へ導く。04年まで監督を続け、球団消滅とともにユニホームを脱いだ。

※記録と表記は当時のもの