【前回】セが予告先発を採用していなかった時代、先発を巡る情報戦は激化の一途をたどる。00年代中盤~終盤の中日ドラゴンズは、情報管理でライバルたちを圧倒していく。

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 来季から監督を務める森繁和コーチが中心となり、中日は他球団と一線を画す情報管理システムを築き上げた。先発は、とことん隠す。100%の裏が取れない相手は、先発する可能性のある全投手の分析を余儀なくされ、貴重な試合前の時間を食う。機を見て仕掛ける奇襲も実にやっかいで、ことごとく成功していた。

 情報を取る。情報を隠す。両方の面で突出していたから、常に主導権を握れた。他球団を調査する面々は担当制を敷いていた。精鋭ならではの動きが、さまざまな都市伝説を生んだ。

 <1>某球場に隣接するビジネスホテルの最上階、角部屋を、シーズン中ずっとキープしている。部屋の窓からブルペンの様子を双眼鏡でのぞき、絶えずチェックしている…らしい。

 <2>敵の先発投手を四六時中、監視する。遠征先のホテルロビーに潜り、何時に、どんな様子で宿舎へ入るか目視している。どこかで見たことのある人とエレベーター前で目があったり、コンビニで鉢合わせたり、宿舎への帰り道ですれちがったりする…気がする。

 <3>完全な成果主義で、上げてくる情報の精度で続投や配置換えが決まる。同じ人が何年も同じチームを担当したり、毎年コロコロ変わったりする…ようだ。

 尾ひれが付いたものもあろうが、こんなうわさが飛び交っていた。オカルト的な力も加わり、えもいわれぬ不気味さを醸し出していた。

 地下部隊だけじゃない。人目にさらされる部分の管理も完璧だった。先発投手は2、3人のグループで行動し、グラウンド上でまったく同じ動きをすることは当たり前。キャッチボール、ダッシュはもちろん、ブルペンに入るタイミングも同じ。歩く際、右、左…と足を出すタイミングまでバッチリの場面も見た。当然ブルペンからも一緒に出てくるわけだが、みんなスパイクに土がついているし、しっかり汗もかいている。

 中継ぎ投手が突然、先発陣の調整に加わることもあった。見ている人には「抜てきか」と映るが、実際は先発しなかったりする。やっぱりないか…と思いきや、忘れたころに先発する。勝負をかける日は当日の予想欄を見て、名前のない投手を先発させるという荒技もささやかれたが、あながちではなかったか。しかし当時の先発陣は、どうやって自分のルーティンをこなしていたのだろう。対応力が非常に優れていたのだと思う。

 情報を集めようと目を凝らすほど、懐疑心ばかりが膨らんでいく。判断が曇り、結果、間違えてしまう。人間の知りたい欲求を巧みに利用していた。脅威は、07年CS第2ステージで1つのピークを迎える。リーグ優勝した巨人を情報戦で圧倒し、3連勝で退けた。

 初戦の先発に、第1Sの先発から中3日の小笠原を起用した。巨人の予想は右の山井、あるいは朝倉。あったとして川上。左はまったく想定せず、スタメンに左打者を7人も並べた。

 山井が肝だった。右肩を痛めて投げられる状態になかったことは、CSが終わってから明らかになった。故障を抱えながら、あたかも初戦に先発するような強いキャッチボールやダッシュで調整し、見事なダミー役を果たした。初戦だけではない。翌日も、そのまた翌日も演じた。現に先発予想の欄には、連日、山井の名前があった。逆境を逆手に取る。究極の一枚岩に、妙に感心した記憶がある。

 巨人が受けたダメージは計り知れなかった。メンバー表を受け取った瞬間のマネジャーの顔と、慌てて報告に走る姿。「左じゃないか」と舌打ちし、スコアラー室へ消えた篠塚打撃コーチ。原監督の顔は怒りで紅潮していた。

 東京ドームの一塁側には、ロッカールームとブルペンの間を縦断する通路がある、通路に立っていれば、投手の出入りが自由に見えた。屈辱を受けた翌日、通路を完全にふさぐ鉄扉が設置されていた。その上、練習中は通路への立ち入りが禁止となった。

 フィーバーから荒木大輔を守るため、神宮球場に掘られた地下通路。ホームランの判定に紛れをなくすため、天井まで届かせたナゴヤドームの両翼ポール。東京ドームの鉄扉。それ相応の大きな背景がなければ、建造物の定型が変わることなど、ない。今やほとんど役目のなくなったグレーの扉を見るにつけ、ヒリヒリした日々を思い出す。【宮下敬至】