プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月10日付紙面を振り返ります。1999年の3面(東京版)は西武にドラフト1位で入団した松坂大輔投手(現ソフトバンク)が「若獅子寮」に入寮した様子を伝えています。

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 西武のドラフト1位ルーキー、松坂大輔投手(18=横浜)が9日、埼玉・所沢の球団合宿所「若獅子寮」に入寮した。入寮には両親、青森から駆けつけた祖母間山ヤイさん(70)ら親類、知人合わせ10人が同行する大物ぶり。また、東尾監督はじめ1軍スタッフも出迎えるなど異例の入寮となった。

 父諭さん(45)の知人が運転するワゴンから運び出された荷物はスポーツバッグが2個と紙袋が4個だけ。中身はほとんどがトレーニングウエアで占められていた。「必要なものは徐々に買いそろえていきたい」と、入寮初日はごくシンプルな荷物にまとめた。しかし、同伴した人たちはバラエティーに富んでいた。

 一番うれしそうだったのは母由美子さん(44)方の祖母間山ヤイさんだった。孫の晴れ姿を一目見ようと由美子さんの妹夫妻に連れられて青森から上京した。「夢みたいだね。本当に立派になったねえ」とヤイさん。東京の自宅から道案内をしたのは球場周辺の地理に詳しい所沢在住の諭さんの釣り仲間とその家族。松坂を含めて11人で若獅子寮にやってきた。

 親孝行とおばあちゃん孝行を1度にこなした松坂は完成間近の西武ドームに足を踏み入れた。「早く完成したドームでやりたい。キャンプを前に引き締まりますね」と話した。新居となる松坂の「18号室」は清原(巨人)が5年間過ごした部屋だ。「光栄です」と話すが、早くも脱出を誓っている。1軍入りを果たせば隣接するバス、トイレ付きの1軍部屋へと引っ越しが許されるからだ。「移れるなら早く移りたい」とやる気十分だ。

 出迎えも豪華だった。13日のスタッフミーティングの打ち合わせが重なったせいもあるが、杉本投手、大石バッテリー、鈴木守備、岡本トレーニング各コーチと鈴木2軍監督、楠城スカウト部長が寮に顔を見せた。少し遅れて東尾監督も合流し、自らコーチ陣を紹介する大サービスだった。引き続き行われたミーティングでは楠城部長から松坂獲得までの経緯が説明され「甘やかすことなく、遠慮なく指導してほしい。本人はそれを一番望んでいる」と伝達された。東尾監督は「ほとんど雑談だった」というが“第1回松坂会議”の様相だった。

 前代未聞のにぎやかな入寮を終えた松坂はこの日、1度自宅に戻り12日から寮生活を本格化させる。自主トレも同日スタートする予定で、いよいよ野球モードに突入する。

 ◆若獅子寮(わかじしりょう) 約5年前に改築されたワンルームマンションタイプの1軍部屋9室と築20年で約13畳にベッド、タンス付きの2軍部屋15室からなる。家賃3万5000円。朝夕2食が用意される。夕食のメニューは若い選手が多いため肉類が多い。門限は午後11時(ナイターの時は午前0時)。部屋での飲酒は禁止されているが、東尾監督の方針で夕食時のビールは1本まで認められている。喫煙は自由。20歳までマイカー禁止などのルールがある。

<オモシロ入寮>

 ◆いきなり昼寝 オリックスの川口は1998年(平10)1月5日、青涛館(せいとうかん)に入寮したが、昼すぎに到着すると、3階の自室ベッドにゴロリ。2時間の昼寝を楽しみ、報道陣に待ちぼうけを食わせた。

 ◆親ばか入寮 ヤクルトのカツノリは96年1月9日、当時のヤクルト野村監督、沙知代夫人同伴での入寮。健康祈願のお札、天狗(てんぐ)の面を持ち込む一方、沙知代夫人は方位磁石で家具の配置を決めるなど、至れり尽くせりの過保護入寮セレモニー。

 ◆過熱見送り 巨人の松井は93年1月14日、入寮のため東京に向かう、石川・小松空港でファン約100人に「万歳三唱」をされて出発。空港での手荷物検査ではゲート係員が検査を後回しに、サインをせがむなど空港は見送りフィーバーで過熱した。

 ◆入寮拒否? ヤクルトの荒井(現横浜)は球団が入寮日と指定した86年(昭61)1月7日に埼玉・戸田の合宿所に入ったが、「手相を見てもらったら、北の方角は凶と出てるから14日まで入寮しない」と、あいさつを済ませてさっさと実家に逆戻りした。

※記録と表記は当時のもの