プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月15日付紙面を振り返ります。2011年の7面では、落合博満氏の野球殿堂入りを報じています。

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 球界の功労者をたたえる「野球殿堂入り」が14日、野球体育博物館(東京ドーム内)で発表された。競技者表彰プレーヤー部門は3冠王を3度獲得し、現在も中日監督を務める落合博満氏(57)が選ばれた。現役監督の殿堂入りは、川上哲治、鶴岡一人両氏以来で46年ぶり3人目。エキスパート部門では「最後の30勝投手」(68年)である故皆川睦雄氏が選ばれた。殿堂入りはこれで173人となった。

 後世に語り継がれる栄誉を、落合監督は謹んで受けた。会見の壇上に上がると喜びを素直に表現した。

 「私はユニホームを着ている間はこの賞とは無縁だろうと思っていました。ユニホームを脱いでから、いつか、もらえればいいなと思っていた。私だけではなく、女房、息子、息子の嫁と4人でささやかな祝杯を挙げたいと思います」

 07年に規定が変わり、監督としてユニホームを着ていながら殿堂入り候補者になった。09年、10年と2年連続で1票足りずに落選した。突出した実績があるのになぜか? 賛否が巻き起こった。ゲスト出席した中日OB杉下氏は今回の選出を「遅きに失した」と断じた。本人はにやりと笑い、落合節で受け流した。

 「それについては私は何も言いません。ただ、どうせなら3年連続1票差で落選した方がおもしろかったんじゃないか。他人がやらないことをやるのはいいことだろ。ハハハッ」

 昔から言葉より行動で自らを表現してきた。誤解もされたが逆に正当に評価されない悔しさをエネルギーに変えた。そんな野球人生を振り返って言ったことがある。「オレのやったことが評価されるのはオレが死んでからだろうな」。そんな覚悟があったからこそ、1票差の落選を笑い飛ばせた。

 長男・福嗣さん(23)にはことあるごとに「生まれたからには名を残せ」と言ってきた。殿堂入りで落合博満の名前は野球博物館において永久保存される。MVP、数々の打撃タイトル、正力賞、そして殿堂入り…。多くの栄誉を手中にした落合監督は最後にこう言った。

 「野球界からもらえるものは全部いただいた。これが最後の賞でしょう。これから野球界のためにひと肌でも、ふた肌でも脱ぎたい。野村さんの代わりと言っては何ですが、これからも小言を言います。それに耳を傾けてくれるコミッショナーだと信じています」

 出席した加藤コミッショナー、野村氏をちらりと見やった。「ご意見番」として野球界にもの申す。常勝軍団を率いる将として勝ち続ける。唯一の殿堂監督によるオレ流の恩返しが始まる。

※記録と表記は当時のもの