阪神・淡路大震災から24年。この単語を出すと、ヤクルト坂口智隆外野手(34)は「そうですね。もう24年ですか」と静かに答え、足を止めた。「自然のことだし、コメントするのが難しいですね」と言いながら、当時を振り返ってくれた。

95年1月17日、小学5年生だった坂口少年の記憶は、はっきり残っている。明石市内の自宅は倒壊はしなかったものの、大きく揺れた。母と2人、カップラーメンを持って自転車で避難所まで一生懸命に走ったという。

衝撃的だったのは、祖母が住んでいた家だった。猛火に襲われ、特に被害が大きかった神戸市長田区にあった。家は原形をとどめておらず、1階も2階も分からない「全壊だった」。家族を含め、親戚一同が避難生活を余儀なくされた。「どんなに準備をしていても勝てないことがあるんだな、と思いました」。自然の脅威を知る機会となった。

時間がたっても、立場が変わりプロ野球選手になっても記憶は消えない。「毎年、カレンダーを見て、いつも思い出します」。プロ17年目のシーズンを前に、地元に思いをはせていた。【保坂恭子】