<オリックス2-4ソフトバンク>3日◇京セラドーム大阪

 清原がフルスイングで帰ってきた。左ひざを手術したオリックス清原和博内野手(40)がソフトバンク戦の7回に代打で出場した。1軍出場は06年9月8日日本ハム戦以来1年11カ月、実に695日ぶりだった。初球から力強いスイングで、満員3万超の観衆から総立ちで拍手を受けた。空振り三振に終わったが、2日に引退の決意を明かした背番号5の熱く激しい最後の戦いが始まった。

 代打清原のコールにドームが揺れた。「とんぼ」のBGMに3万人を超える観客が総立ちとなった。左ひざの大けがを経て、清原が1年11カ月ぶりに1軍舞台に帰ってきた。「やっとここまで来たんだと…。王さんの顔も見えたけど頭が真っ白。投手の顔も見えなかったし、構えることができなかった。こんなん野球やってて初めてだった。2-2の緊迫した場面でプロとしては失格ですけど」。7回、先頭で打席に入った。感極まっていた。

 「3球とも振ろうと思っていました」。初球、144キロの真っすぐを豪快に空振りすると、またドームが沸いた。2球目はこん身のスイングでファウル。ボール2球の後、最後はボール気味の140キロ真っすぐにバットは空を切った。

 引退を決意した男の魂の三振。敵味方区別ないスタンディングオベーションに、ヘルメットを掲げて応えた。「拍手もうれしかったし、歓声もすごかった。頑張ってきてよかった。(軟骨移植手術から再起という)日本でもアメリカでもやったことのないことをやった充実感がある。いろんな修羅場をくぐってきたけど、こういう気持ちは初めて」。

 兵庫・芦屋市の自宅は「穴だらけ」だという。リハビリにイラ立ち、拳で殴ったり、物を投げつけたりした。支えは家族の存在だった。長男の正吾君(5)は昨年の七夕、短冊に「パパの足が治りますように」と書いていた。物心がつき始めたばかりの次男勝児君(3)はケガばかりの姿しか知らない。寝顔を見ながら「この子にも、ホームランを打っているところを見せてあげたい」と涙が出た。穴の空いた壁は家族の写真や子どもが描いた絵でふさいだ。もう1度グラウンドに立つと固く誓った。5月からは酒を断った。

 8月3日が清原のお正月。シーズン開幕恒例、亜希夫人(39)お手製のタイの尾頭付きと赤飯を平らげ出陣した。「ボール球も振った。明日からは結果を出せるよう精いっぱいやっていく」。復活の儀式はこれでおしまい。チームは負けた。今度こそ勝利へ導く1発を放つ。【松井清員】