元広島監督で楽天編成部長の三村敏之氏が3日午前10時5分、心不全のため仙台市内の病院で死去した。61歳だった。2日にはコーチ会議のため球団を訪れていたが、体調不良を訴え帰宅。その夜、病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。現役時代は「赤ヘル打線」の2番打者で75年初優勝に貢献。94年から5年間、監督を務めた。今年5月には肝臓がんの手術を受けるなど体調不良が続いていたが、職場復帰した三村氏の突然の悲報に、球界には衝撃が走った。

 広島商の7年後輩で、三村氏から広島監督を引き継いだ達川氏は沈んだ表情だった。「新人で年俸が安く道具も買えないとき、三村さんがいろいろ回してくれた。アキレスけんを切ったとき、記者の見えないブルペンで打撃練習をされていた。天才と言われたけど、努力されてました」と言葉を詰まらせた。96年の巨人の「メークドラマ」には「逆に言えば(三村さんが)巨人の独走を許さなかったと言える」と話した。

 [2009年11月4日11時34分

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