プロ20年目の阪神矢野燿大(あきひろ)捕手(41)が、現役引退を表明した。3日、大阪市内のホテルで会見して「夢のような、僕の想像する以上に素晴らしい野球人生だった」と泣いた。08年11月に手術した右ひじの状態が思わしくなく、1軍戦力になれないと自ら判断、前日2日に球団に引退を申し入れた。矢野は将来的に指導者を目指しており、今後はネット裏から勉強する意向。坂井信也オーナー(62=電鉄本社長)も「誰もが認めるところ」と将来の監督候補と期待した。チームは広島に無念の逆転負け。連勝は5でストップも、選手たちは優勝への誓いを新たにした。
静かに泣いた。矢野は、22分の会見で3度、言葉につまった。感謝と無念が入り交じって、あふれてくる涙を必死にこらえた。「振り返ると夢のような、僕の想像する以上に素晴らしい野球人生だった。僕にとって最高の野球人生だった」。
潔く決断した。激務の捕手で20年の年輪を重ねて「心技体が全部あって初めてできる仕事だと思う。すべての面で1軍戦力になることができなくなってきたのかな。自分の判断です」。08年から右ひじ痛に悩まされた。同年11月にメスを入れたが、状態は一進一退。今季は城島の加入もあって出場機会も減った。6月8日には自分から2軍調整を申し出た。「いい時があれば明日もできる、悪くなれば明日は大丈夫かなと。悩みに悩んで(引退を)決めたのは最近」。痛み止めの注射を繰り返したが、甲子園への帰還はかなわなかった。この日は「やめると決めて、肩の荷が下りた気持ち」と口にした。
いつも“無念”が糧になった。「僕の人生の分岐点はいつも悔しい思いがあった」。90年ドラフト2位で中日に入団して「何年でクビになるか、というところからスタートした」。定位置をつかめずに外野手としても試合に出場。98年、阪神にトレードになって「悔しかった。見返してやりたい気持ちが強かった」。移籍直後から正捕手の座をつかんだ。そして03年と05年のリーグ優勝に貢献。「阪神でこんなにいい思いができるとは思ってなかった。自分のベストを尽くし、何とかしがみついてやってきた」。
同じ学年の刺激があった。金本、下柳と3人でチームの中心を担った。今季の前にはもう1度、3人でお立ち台に立つ目標も掲げた。「先にやめるのはちょっとくやしいけど。カネとシモがいてくれたおかげで、負けてんねんけど、負けられへんと。おれもちょっとは励みにしてもらえるような頑張りをしたいというのもあった」。決断を報告した2人から「もったいないなあ」「まだできるかもしれへんなあ」とも言われた。矢野は「カネとシモには特別な気持ちがある」。
20年間のプロ野球人生。1番の思い出に中日時代の91年8月26日阪神戦を挙げた。甲子園でプロ初安打を初本塁打で記録。敗戦の中、星野監督に握手を求められた。「試合に負けると誰も近づけない感じの監督が僕に手を出してくれた」と思い出して、また目を赤くした。
将来的に指導者になるため、今後はネット裏から野球を学ぶ。中日、阪神以外の他球団、米国、そして他のスポーツにも視野を広げる。「結局は野球しかできへん。やってきたことを伝える、指導するために勉強になると思う」。引退を公表したこの日は鳴尾浜のブルペンで育成選手・玉置のボールを受けた。区切りをつけて残る時間は若手に経験を伝えていく。そして最後の願いは5年ぶりの優勝に立ち会うことだ。「こんないいチャンスはないと思う。ぜひとも優勝してほしい」。歓喜のVを仲間に託して矢野がユニホームを脱ぐ。
[2010年9月4日11時21分
紙面から]ソーシャルブックマーク



